Arts, Science, 日々のこと, 東京, 樹木

日々雑感43(24/4/29記)

 世田谷区の保護樹木に指定されている大ケヤキについては以前に取り上げました(都会の片隅で咲く草花40(22/11/30)。葉の落ちた2月に大ケヤキの枝は大胆に取り払われ骸骨のようになりました(写真1)。が、2か月ほどたつと残された枝に葉が出てきました(写真2)。ケヤキの生命力に圧倒されます。

写真1 すっかり枝の折払われた   
    大ケヤキ(24年2月)       
写真2 葉を取り戻した大ケヤキ
(24年5月初旬)

 それだけではありません。大ケヤキの下にはゴミ置き場がありますが(写真3)、屋根に落ちたケヤキの種は樋(とい)に流され、そこで発芽します(写真4)。発芽したケヤキは直根のついたまま引き抜くことができ(写真5)、鉢に移植しました(写真6)。

写真3 マンションのゴミ捨て場    
屋根の右端に沿って樋(トイ)があります。              
写真4 樋(トイ)に沿ってケヤキのこぼれた種が発芽しています。
写真5 発芽したケヤキ         
双葉が残っています
写真6 移植したケヤキ

 ケヤキはまた盆栽として育てることもできます。そのためには直根を双葉の下 1 cm ぐらいのところで切り落とします(写真7)。軸切りした3株を鉢に植えましたが一株だけが根付きました(写真8)。私が生きている内に少しは盆栽らしくなってくれるかと願うばかりです(写真9)。

写真7 軸切り後のケヤキ写真8 軸切りしたケヤキ

写真9 ケヤキの盆栽
 web上に公開されている画像から引用

追記

 イギリスのストリートアーティスト、反資本主義、反グローバリズムで知られるバンクシーは環境破壊の警鐘として木を利用した壁画を描きました(写真10)。

写真10 環境破壊への警鐘としてバンクシーによって描かれた壁画 

<枝を切り払われた木の背後に緑の葉を描きました。>

 大ケヤキの写真1,2は樹木の生命力がバンクシーが案ずるほど弱くないことを示しています。

最初のページへ

自宅周辺の花, 日々のこと, 春の花, 樹木

都会の片隅に咲く草花44(24/3/29記)

 自宅マンションに面した小公園の桜がようやく開花しました(写真1)。昨年より1週間遅れです。この4月6日に米寿を迎える私ですが、その頃には満開の桜が祝ってくれるのではないかと楽しみです。

「号外(4月6日)」👈Click

写真追加「藤の花」👈Click

写真1 ようやく開花した桜(330日)。向かいは私の住んでいるマンション

 この時期は木々が芽吹くときでもあります。ベランダ(4階)からは小公園のケヤキの芽吹きが手に取るように観察できます。写真23は芽吹く前と後で撮ったものです。

 ケヤキの芽吹きはどう言うわけか上から始まります。ケヤキが横方向に枝を張らず、上へ、上へと伸びるのはそのためです。若者の成長を象徴しているかのようで勢いを感じます。

写真2 芽吹く前のケヤキ写真3 芽吹いたケヤキ

 春の訪れは我が家の食卓にもやってきました。筍ご飯に、木の芽、それに蕗のトウの天ぷら、ささやかながら春を味わいました(写真4)。

……………………………………………………….

写真4 ある日の我が家の食卓

追補

 4月に入って遊歩道の桜はようやく8分咲きになりました(写真4

写真4 遊歩道の桜

「号外(4月6日)」

★(号外2) 写真追加「藤の花」

小公園にある紅みをおびた藤
道にはみ出さんばかりの藤

最初のページへ

秋冬の花, Science, 東京, 樹木

都会の片隅に咲く草花41(23/12/18記)

 師走に入ると桜の葉は赤や黄色に染まり落ち葉となります。北風により吹き寄せられやがて朽ちていきます(写真1)カタバミの上に軟着陸する幸せものもあります(写真2)。ベンチの上で一休みという呑気者もいます(写真3)。

 すっかり葉を落とした枝には花芽と葉芽を付け来春に備えています(写真4)。先の尖った方が葉芽、丸みを帯びているのが花芽です。

 桜の黄葉と紅葉についてはキャノン サイエンスラボ・キッズに公開されている分かりやすい図解を引用します。

 本論に入る前に葉がなぜ緑に見えるのかその仕組みを述べます。光合成に欠かせないのが色素クロロフィルで a、b2種類があります。いずれも青と赤色の光を吸収します(図1)。

 光合成に関与しない色の光(主として緑)は反射されて、目に入ります(図2)。緑色の光は葉にとっていわばゴミのような存在です。人はこのゴミを見て、美しいとか、心が休まるとか感じるのですから不思議です。

図1 クロロフィルの吸収スペクトル 図2 葉が緑に見える仕組み 

   図3 コルク質の離層

 冬が近づくと落葉樹は葉のつけ根が離層(りそう)というコルク質の組織でふさがれ、養分の補給が断たれて(図3の上)、クロロフィルは分解されますが、植物にとって貴重な成分である窒素やリンは枝(図では茎)に移動させます(図3の下)。リサイクルです。

 養分の補給を断たれたクロロフィルは分解し、緑色の反射能を失います。その結果、葉が本来持っていた色素、カロテノイド(黄)やアントシアニン(赤)により色づきます(図4)。

 図4 黄葉の仕組み(上図)と紅葉の仕組み(下図

 ケヤキの場合は、葉がもともと持っていたタンニンが葉の老化とともに酸化されこげ茶色(褐色)を帯びます。褐葉と呼ばれています(写真5)。

写真5 大ケヤキの褐葉

追記

 渋柿の渋みは水溶性のタンニンによります。渋柿の皮をむき、干し柿にすると水分が抜けペクチンと結合してタンニンは不溶性となります。不溶性になれば舌は渋みとして感じ取ることができません。

 タンニンは広く植物に含まれています。身近な例としてはお茶の渋みがあります。

🍁今月のカバーフォトについて🍁

今月の写真はブーゲンビリアです。熱帯の花かと思っていましたが、寒さにも負けず近所で咲いているところをパチリと撮りました。(Blog Auther

最初のページへ

秋冬の花, 東京, 樹木

都会の片隅に咲く草花40(23/11/30記)

 私の部屋(東向き、4階)からは50 mほど先にある大ケヤキ(高さ20 m、幹の直径1 m)が臨めます。このブログでもその新緑の美しさについて取り上げました(例えば都会の片隅で咲く草花 16)。今回は冬支度に入ったケヤキです。色づいたケヤキの美しさは新緑に劣らないことに気が付きました。

 写真12は朝焼けと青空を背景にした晩秋の大ケヤキです。威風堂々とした姿に圧倒されます。コンクリートの壁に囲まれても少しもへこたれる様子はありません。この大ケヤキを見るたびに力強さを分けてもらいます。老いに負けるなよと。

写真1 朝焼けを背景にした
晩秋の大ケヤキ 
 写真2 青空を背景にした
晩秋の大ケヤキ

 ケヤキの色付きは上から始まりひと月ぐらいをかけて下降していきます。緑、黄金色、茶色、落葉と変化していきます(写真3)。黄金色に輝く葉は有終の美でしょうか(写真4)。なんとも美しい。

写真3 ケヤキの色づき具合 
色づきはてっぺんから始まり、
徐々に下降していきます。
写真4 黄金色に染まった大ケヤキ
写真5 奥沢2丁目公園にある3本
のケヤキ:色づき具合は一様ではなく時間差があるようです。  
写真6 ケヤキのてっぺん部分
葉を落とした枝は天空を突きさすかのようにそそり立っています。

 私の部屋の目の前にある奥沢2丁目公園には高さが15mほどのケヤキが3本あります(写真5)。夏は公園に来た保育園児たちに格好の日陰を用意し、冬になれば葉を落として日差しをプレゼントします。

 写真6はてっぺん部分を拡大しました。枝先は天空に向かってそそり立っています。下から眺めているとなかなか気が付きませんが、ケヤキの特徴です。この写真では梢の先に百舌鳥が止まっています。当たり前のことかもしれませんが、鳥の軽さにただ驚かされます。

 和辻哲郎の随筆松の姿と欅(ケヤキ)の姿とを比べた文章があります。ケヤキの部分を中心に引用します。

欅の葉は、ケヤキが大木であるに似合わず小さい優しい形で、春 芽をふくにも他の落葉樹よりあとから烟(ケム)るような緑の色で現れて来、秋は他の落葉樹よりも先にあっさりと黄ばんだ葉を落としてしまう。この対照は、常緑樹と落葉樹というにとどまらず、剛と柔との極端な対照のように見える。が一層重要なのは枝のつき工合である。松の枝は幹から横に出ていて、強い弾力をもって上下左右に揺れるのであるが、欅の枝は幹に添うて上向きに出ているので、梢の方へ行くと、どれが幹、どれが枝とは言えないようなふうに、つまり箒(ホウキ)のような形に枝が分かれていることになる。欅であるから弾力はやはり強いであろうが、しかしこの枝は、前後左右に揺れることはあっても、上下に揺れることは絶対にない。」(本文の傍点部分は太字に)

 和辻哲郎随筆集 坂部恵編(岩波文庫 1995)p291 松風の音

余談

 欅という漢字は国字(?)で、木偏に擧です。擧は新字体では挙ですから挙手に通じます。カエデの梢は天に向かって挙手している姿に似ていることから国字の欅が生まれたのでしょうか。

最初のページへ

秋冬の花, 日々のこと, 東京, 樹木

日々雑感38(23/11/30記)

 昨年「世田谷区風景づくり条例」が制定され、奥沢1~3丁目(ほぼ1平方 km)が界わい形成地区に指定されました。このまちの宅地の緑を保全し、まち全体をあたかも「公園のごとく」にしようという試みです(奥沢ガーデンタウン構想)。

 その素地は1923年(大正12年)に起きた関東大震災と関係しています。震災後山手線の外側の地域に住む人が増えはじめました。奥沢2丁目の地主である原氏は周りにさきがけて区画整理をし、宅地として整備しました(写真1)。

図1 海軍村近辺の地図(奥沢2丁目の一部)  海軍村跡石碑、 奥沢2丁目公園、 3 我がマンション、 区画整理された道の一例(写真3参照)

 奥沢は海に面していませんが、海軍省のある虎ノ門と軍港のある横須賀との中間に位置しています。1923年(大正12年)海軍士官の親睦団体「水交社」の斡旋により、住宅地として整備された奥沢2丁目界隈に士官たちが住むようになりました。昭和に入るころ(1926年ころ)には30軒ほどが集まり、海軍村と呼ばれようになりました(写真1)。現在では建て替えが進み、往時の建物はほんの数軒になりました(写真2)。

写真1 海軍村跡石碑 
位置は図1の。 
 写真2 往時の海軍士官の邸宅。
 玄関にはポーチがあり、赤い屋根が特徴です。
 この建物は築100年です。現在でも人が住んでいます。

 邸宅は軍人には似合わず、道路に面し開かれた南欧風の建物でした。玄関にはポーチがあり、赤い屋根が特徴的です。どの士官も似たような家に住んでいました。この写真では写っていませんが、海軍村の家はどこも赤い屋根とシュロの木がセットになっていました(写真67参照)。士官たちは狭い船内で共同生活を送っていたため歩調を合わせたのでしょうか。

 南欧風のオープンな建物は海軍の比較的自由な雰囲気が感じとれます。自由が丘という町名の「自由」が戦中を通して無事生き残ったのは海軍村があったからだと言われています(日々雑感1参照)。自由が丘は奥沢の隣町です。

 海軍村を含め区画整理された敷地は1軒当たり200坪ほどもあり、自ずと緑の多い街並みとなりました(写真3)。そこで緑を守ってまち全体を公園のごとくにしようというアイディアが生まれ、奥沢1~3丁目が世田谷区風景づくり条例に指定されました。

 「土とみどりをまもる会」は1998年以来、市民活動を支援する様々な制度を利用して、活動している団体です。目標は地域の緑について、多くの住民が「自分のこと」として共感をもってもらうことにあります。 

写真3 区画整理された地域の道路。緑の多い家が目立ちます。道幅がやや狭いため自動車が頻繁に通らず、閑静な住宅地区とよくマッチしています。この通りは図14に対応しています。

 共同体としての活動の場の場に、1936年(昭和8年)に建てられたシェア奥沢があります。空き家活用助成金で再生され、奥沢海軍村の風情を今に伝えています。住民主体のデイサービスや音楽会に使われています。

 11月19日(日)に一日限りのカフェサービスがありました。私たち夫婦も穏やかなお天気に誘われ訪問しました。写真4はそのときのスナップ写真です。

 コーヒーを飲みながらくつろいでいる人たちです。奥ではその一人がピアノを即興で弾いていました。力強い、美しい音が響きわたっていました。それもそのはず、手入れの行き届いたSteinway & Sons のグランドピアノからなのです(写真5)。1920年代にハイフェッツ(ヴァイオリニスト)が使っていたのを購入したと聞きました。

 写真4 コーヒーを飲みながらくつろぐ人たち。奥では訪問者の一人が即興でピアノを弾いています。

写真5 Steinway &Sons の古いグランドピアノ

 私たち夫婦もコーヒーを注文しました。奥沢に住む幸せを感じるひと時でした。

 奥沢にはもう一つ「地域共生のいえ」があります。それは読書空間「みかも」です。1924年(大正13年)に建てられた和洋折衷建築の一部にある図書室です。1926年生まれの館長はずっとこの家に住んでいます。築99年の静かな読書空間です。入館料は300円ですが、みかもの運営や維持などのために使われています。

 「みかも」の赤い屋根とシュロ(写真67)は海軍村の影響でしょうか、それとも海軍村の建物を購入したのでしょうか?機会をみて100歳近い館長に尋ねてみようと思います。

写真6 読書空間「みかも」の赤い屋根写真7 みかもの庭にあるシュロの大木

 奥沢界わい地区は地域の有志の人たちと行政(世田谷区)とがうまくかみ合っている稀なケースかと思いました。

1) Okusawa Garden Town みどりの街づくりガイド

(企画・取材 ; 特定非営利活動法人土とみどりを守る会、2021)

2) 読書空間みかもパンフレット(2023年11月)

3)風景祭パンフレット(奥沢風景コア会議、2023年)

最初のページへ

秋冬の花, 首都圏の花, Science, 東京, 樹木

都会の片隅に咲く草花38(23/9/24記)

 8月も中旬が過ぎると高原では早くも「小さな秋」が訪れます。前回の「日々雑感35」では子供たちに連れられ那須高原に行った話をしました。今回はそのとき見つけた秋の訪れを取り上げます。

<日々雑感35 より>

 別荘に入る道の角に大きな栗の木があります。緑色のイガに覆われた未熟な栗が落ちていました。秋到来の前兆です。

 
写真1 イガ頭の栗

 畦道を通って田んぼに出ると一面の草、草、草田んぼは休耕地になっていました。世界は食糧不足というのにこんなことでいいのかなと独り言。

 数年前までは吾亦紅(われもこう)の群生が見られた場所には一本も見つかりませんでした。その代りに台湾クズの繁茂です(写真2)。吾亦紅はあきらめて戻ろうとしたとき、休耕地の畔に見つけました(写真3,4)。

写真2 台湾クズ
写真3 生い茂った草から頭を出す吾亦紅 写真4 吾亦紅 赤とんぼがよく似合う

 どうして吾亦紅が少なくなったのかnet で調べると、草刈りをしなくなったせいだとありました。納得です。

 吾亦紅の字面は、自分はそんなに紅く見えないが、でも紅いんだぞと自己主張しているように読めます。言い得て妙です。

 細い枝の先にある濃い海老茶色の一塊は小さな花の密集したものです。植物学上はバラ科に属していますが、どこがバラと言いたくなります。密集した花を拡大して個々に見ると5弁花で、バラ科の特徴を備えています。

道草を少々

 台湾クズの茂みの向かいには、田んぼ道を挟んで小型のお地蔵さんが並んでいました(写真5)。像は風化していてかなりの年数が経っています。その昔、疫病除けに村の人たちが立てたのでしょうか。

 一番立派なお地蔵さんを拡大写真で見ると弓と矢を手にしています(写真6)。「災難の御主よ、出てこい」と構えている頼もしい村のお守りさんです。

写真5 仲良く並んだ小さなお地蔵さん。背丈は50センチぐらい。
お地蔵さんの向かいは道を挟んで台湾クズの茂み(写真2)です。
写真6 一番立派なお地蔵さん。弓と矢を手にしています。

 花の話に戻ります。那須といえばリンドウです。朝夕の冷え込みが進むと開花期を迎えます。活火山、那須岳(標高1,915 m、愛称は茶臼岳)のふもと、湯本では酸性土を好むリンドウが自生しています。このタイミングで那須に行く予定はなかったので、花屋でリンドウを買い求め飾りました(写真7)。濃いブルーがさわやかです。

写真7 我が家に飾られたリンドウ

 那須のリンドウについては都会の片隅で咲く草花9同23でも触れました。

今月のカバーフォト ”ピンポンマム”

最初のページへ

Arts, 自宅周辺の花, Science, 夏の花, 東京, 樹木

都会の片隅に咲く草花37(23/8/14記)

 カンカン照りの夏は花に恵まれません。そんな中にあってひときわ目立つのが百日紅(俗名サルスベリ)です(写真1)。

 写真1 百日紅(俗称:サルスベリ)  写真2 つぼみが次から次へと開花する百日紅

 花びらは房状に密集し、遠くから見ても目立ちます。次から次へとつぼみが開花しますので、長期にわたり咲き続けているかのように見えます(写真2)。百日紅と呼ばれる所以です。

 通常の樹木は幹の周りがコルク質で覆われていますが、百日紅にはありません。幹はつるつるです(写真1)。別名サルスベリと呼ばれるのはそのためです。ツタなどが巻き付かないためだそうです。

 花の構造を見るため、花びらを一つ失敬して、水に浮かべたのが写真3です。6片の萼(がく)から花弁が6本出ています。黄色い雄しべが多数見られますが虫を呼び寄せるための偽雄しべです。受精能力はありませんが、ぶどう糖は多めに含まれているとのことです。

 露草もそうでしたが、百日紅の偽雄しべも鮮やかな黄色をしています。地面に到達する太陽光のスペクトルのうち、最も強いのが黄色であることと関係していると思います(日々雑感18 図1)。

 ぶどう糖と言い、黄色と言い、植物の抜け目のなさには感心するばかりです。

 写真3をよく見ると、地味ですがひょろひょろと伸びている本物の雄しべ(葯、やく)が6本あります。葯は花粉をつくる袋で、中に受精能力のある花粉が入っています。

 偽雄しべ群の左寄りに萼から飛び出しているのが雌しべです(緑色)。

 写真3 百日紅の花(詳しい構造については本文参照)

 百日紅の花は長期にわたって順次開花します。受粉に成功した雌しべは早々と実を付けます(写真4)。受粉のできなかった雌しべはやがて落下してしまいます。

 秋も深まり葉が枯れるころになると実ははじけ中から種が飛び出します。種には、モミジのように羽がついていて風任せの放浪をします。たまたま環境の恵まれたところに着地すれば発芽することになりますが、小公園にある3本の百日紅の根元にはいくら探しても発芽の痕跡は見当たりません。それもそのはず、ばらまかれた種の多くが発芽、成長すれば百日紅の木々は共倒れになってしまいます。

写真4 右側は受粉した雌しべが結んだ実。左側は受粉しなかった雌しべ
(実が無い)          
写真5 成熟した実(黒い球)と飛び出した種(上図)。下図はその拡大写真(脚注1)    

片山速夫氏のブログ:オリーブ吹田(サルスベリの花→実→種→発芽→花の一年間と二種類のオシべ)による。

最初のページへ

秋冬の花, 自宅周辺の花, 東京, 樹木

都会の片隅に咲く草花30

ポインセチアの不思議

 本題に入る前に椿とポインセチアを比べてみます(写真1,2)。いずれも花の中心に雄しべと雌しべがあります。椿は赤い花びらが囲んでいるのに対して、ポインセチアは赤い葉っぱ(苞(ホウ)後述)が囲んでいます。花びらはありません。花びらや苞の付け根には光合成に欠かせない緑色の葉っぱがあります。ポインセチアの苞は椿の花びらに対応しています。不思議なことに苞は形といい、葉脈といい葉っぱそのものです。椿の花びらとは大違いです。

写真1 椿 写真2 ポインセチア

 本題の「ポインセチアの不思議」に移ります。ポインセチアはの鮮やかなコントラストでクリスマスを盛り上げます。役目を終えたポインセチアは鉢植えの水を切らさないと夏場をしのぐことができます。赤い葉(苞)は落ちますが、青い葉は次のクリスマスを待ちます(写真3)。

写真3 シーズンを終えたポインセチア 写真4  3か月間の短日処理を施したポインセチア 
真ん中に花芽が見える

 ポインセチアの赤い葉(苞)は葉の色が変化したものです。苞は虫などを呼び寄せるためです。花芽の開花は日が短くなる晩秋から冬にかけてです。花芽といっても花びらはなく、代わりに苞がその役目を果たしています。花びらが葉の色違いとはなんとも不思議な植物です。

 鉢植えの葉を赤くするためには花芽の出ごろを見計らって短日処理をします。1日当たり12時間ぐらい暗闇の中に置く処理です。鉢植えをボール紙で筒状に囲い、上を厚めの布で覆い暗闇にします。2か月もすると葉は徐々に赤味を帯び、苞に変化していきます(写真4)。若い青葉は徐々に葉緑素を失い赤味を帯びます(写真4右奥の葉)。短日処理中に芽を出した葉は全身真っ赤です。苞の中央には小さな花芽がわずかに顔を出しています。

 昨年、クリスマス用に買い求めた鉢植えのポインセチアはすでに花を付けていました(写真5)。花の部分の拡大写真6です。雄花、雌花、蜜腺で構成されています。花びらは無く、奇妙な形の花です。Web ”らら”のフリーハンド絵付けから引用したイラスト(写真7)に花の構造と名称が記されています(写真7)。

写真5 (左) クリスマス用に去年買い求めた大きめのポインセチア 

写真4の鉢植えに比べて1か月ほど早く短日処理をしたものと思われる。

写真6 花の拡大写真 写真7 花の構造と名称 
”らら”のフリーハンド絵付け
による。

 赤い苞と蜜は虫などを呼び寄せ、雌しべの受粉を助けます。雄花、雌花がその役目を終えると、苞から緑色の若葉が出てきます(写真8)。葉先は緑色ですが、付け根や葉脈には苞の名残りが見られます。苞はやがて枯れ落ち、ポインセチアは緑色一色となり、写真3の状態に戻ります。

写真8 花期を終えたポインセチア

若葉は葉緑素を取り戻し、緑色となります。若葉の根元や葉脈には苞の赤味が残っています。

 自前の葉を使って、その色を変えるだけで「えせの花びら」を作る巧みさ加減にはただ感心してしまいます。進化の賜でしょうか。

追記

 ポインセチアは薄い大きな葉をもっています。冬場の室内は乾燥しがちなので、噴霧器で霧を振りかけています。葉は水をはじく性質がありますので霧は水滴となって苞や葉の上に留まります。水滴に日が射すと珠玉に様変わりします(写真9)。表面張力と光の反射、屈折の見事な世界です。

写真9  珠玉の水滴 葉や苞からの反射光を受けて
    水滴は赤や緑色に染まります。

最初のページへ

秋冬の花, 自宅周辺の花, 東京, 樹木

都会の片隅に咲く草花29

蔦紅葉と最後の一葉

 前回の「都会の片隅に咲く草花 28」では季語、桜紅葉を取り上げました。今回は季語、蔦紅葉(ツタモミジ)です。ツタの葉はツルに沿って点々と大きな葉をつけます。秋が近づくと葉ごとに個性豊かに色づきます(写真1)。モミジのような華やかさはありませんが控えめの美しさです。大きな葉が細長い葉柄(ハガラ)で支えられているせいか葉は心細そうに見えます。

 私の住んでいるマンションの石垣(ブロック垣?)はツタで覆われています。冬が近づくと葉は落ちてしまい、ブロックに張り巡らされたツルが目立ちます(写真2)。ブロック垣は寒々とした風景になります。この変化を見て、オー・ヘンリーの短編、最後の一葉(the last leaf)を思い出しました。

写真1 色づいた蔦の葉

写真2 葉を落とした蔦のツル

 蔦は華やかさに欠けますが、歌に読まれることのおおい植物です。若葉の時季の「蔦若葉」、青々と茂った姿の「青蔦」、それぞれ春と夏の季語です。色づいた「蔦紅葉」は秋の季語です。

 オー・ヘンリーに誘われ、こんな作り話が頭に浮かびました。

 ”年老いた画家オー・ケイは生きた証として「永遠の一葉(The perpetual leaf)」を描くと心に決めていました。それは人が描いた絵のどの葉よりもリアルでなければならないと。それが次の絵(写真3)です。

年老いた画家オーケイは生きた証として「永遠の一葉(The perpetual leaf)」を描くと心に決めていました。それは人が描いたどの葉よりもリアルでなければならないと。それが次の写真です。

写真3 永遠の一葉

 なる程、本物そっくりだ!自己満足するとオー・ケイはあの世に旅立ってしまいました。”


 駄作のお口直しに、蔦紅葉を詠んだ正岡子規と松尾芭蕉の句を2つ。

    一筋は 戸にはさまれて 蔦紅葉   子規 

    蔦の葉は むかしめきたる 紅葉哉  芭蕉

 厳しい寒さにさらされると桜の葉は鮮やかな赤色を帯びます。枝にしがみつくようにして数枚の葉が残るのみとなります(写真4)。それもやがて地面に舞い降り、有終の美を飾ります(写真5)。蔦紅葉の場合もそうでしたが、「自然は随分芸術家気取りだなぁ」と私はつぶやいてしまいました。

 写真4 桜紅葉 残された数枚の葉   写真5 地面に舞い降り、有終の美を飾る

最初のページへ

秋冬の花, 自宅周辺の花, 東京, 樹木

都会の片隅に咲く草花28

(22/12/1)

 秋を彩る桜紅葉とその周辺

 秋が近づくと木々は様々に色づき始めます。桜紅葉(さくらもみじ)は桜の紅葉を表す季語です。桜は木全体が一斉に色づくことはありません。くすんだ緑や黄ばんだ葉、それに赤らんだ葉が共存します。錦織のような美しさにはっとさせられます(写真1)。

 枝にしっかり支えられていた葉は垂れ下がり、やがて落葉します(写真2)。春にはこぼれんばかりの花を付け、夏には緑輝やく葉桜でした。そのことを思うと一抹の寂しさを感じます。齢のせいでしょうか。

写真1 桜紅葉 一斉に紅葉せ
ず、緑、黄色、紅色の葉が共存  
写真2 落葉寸前の葉 
どの葉も下を向き、 かろうじ
て枝に留まっています。

 写真3は落ち葉で覆われた遊歩道です。桜はやがて葉をすっかり落とし、冬支度に入ります。

 落葉で敷き詰められた小公園では子供たちはコーチの指導を受けてサッカーの練習中です(写真4)。なんとも平和な情景です。ミサイルの飛んでくることのない、つかの間の平和なのでしょうか。

写真3 遊歩道の桜並木と落ち葉  写真4 落ち葉の絨毯でサッカー
の練習に励む子供たち

 タイトルの後半「桜紅葉の周辺」に移ります。都会で見られる木々の色付きはモミジと銀杏が代表格です。写真5は両親の眠っている浄真寺(通称九品仏)の境内で撮ったショットです。

 前者は東京都の天然記念物に指定されている大銀杏です。幹回りは4.4メートル、高さは18メートルもあります。葉は大方落ち黒い幹が目立ちます。根元は黄落した葉で埋め尽くされています。こういう老大木を見ると畏敬の念に駆られます。

 後者は色づき始めたモミジです。一面の紅葉(こうよう)ではありませんが、枝ごとに緑、黄、赤色に染まっている姿も風情があります。桜紅葉とは違った美しさです。

写真5 九品仏の大銀杏 黄落 写真6 モミジの紅葉 上の枝から
下へと色彩のグラデ-ション

最初のページへ

秋冬の花, 自宅周辺の花, 首都圏の花, 東京, 樹木

都会の片隅に咲く草花27

(22/10/24 記)

 10月に入ると遊歩道(自由が丘)の金木犀から甘い香りが室内にまで入ってきます。金木犀は「都会の片隅に咲く草花8」でも触れましたが、今回は花芽の段階から落花までを追ってみます。見逃していたことが多くあることに気が付きました。

図1 金木犀 香りのトンネル図2 見事な金木犀ボール

 自由が丘の遊歩道には金木犀の植え込みが数十本あります。10月も半ばを過ぎると左右の金木犀が遊歩道を覆いかぶさるように咲き、香りのトンネルを作ります(図1)。幹に「枝を払わないで下さい」と書きこみのある札を下げた木もあります。枝は大きな手まり状に張り、オレンジ色に染まります(図2)。日中より夕方の方が強く香ります。蛾を呼び寄せるためでしょうか。

 10月初旬には葉の付け根に花芽を付けます(図3)。花芽は黄緑色のガク(顎、漢字はアゴの意)に包まれています。緑色の厚い葉に目を奪われ、よほど注意をしないと花芽は見過ごしてしまいます。

 図4は金木犀の花がガクから顔を出したところ(つぼみ)です。つぼみを支えている花軸(花梗)が伸び、花びらは4方向に裂け、一見4弁花のように見えます。

図3 黄緑色のガクに包まれた花芽  図4 ガクから顔を出したつぼみ(右上)
図5 雄花は二つの雄しべと一つの不完全雌しべを持っています。       図6 雌花(香瑠美亜のブログ、日日是好日より引用)一つの雌しべと二つの小さな雄しべ(?)を持っています。

 図5をよく眺めると黒い点のついた雄しべが対になっています。その対に挟まれるようにして不完全雌しべがわずかに見えます(完全雌しべは図6)。不完全雌しべは実を付けません。図5の花を付けた金木犀は雄株です。

 金木犀の原産地である中国には雄株も雌株もあります。図6は中国の web に upされていた雌株の花(雌花)です。

 雌株は実を付けるため花数が限られますが、雄花は多数の花を付けます。園芸用には花数の多い雄株が重用されるため、私たちが目にする金木犀は雄株が圧倒的です。実がならないので株を増やすには挿し木や接ぎ木が用いられています。

図7 落花の絨毯 図8 遊歩道にある銀木犀 

  開花期間は短く10日ほどで一斉に散り始めます。木の下は橙色に染まった「落花の絨毯」で覆われます(図7)。

 金木犀のセイ(犀)は東南アジアやアフリカにいる大型の動物「犀」(サイ)を指しています。皮膚は分厚く、表皮には縦横に筋が走っています。「可愛い花を付ける金木犀」は「大型で灰色の犀」とは似ても似つきません。

 中国では唐の時代から銀木犀を単に木犀と呼んでいました。犀の外皮に見られる筋模様に似た模様が銀木犀の樹皮に見られるからです(図8の右下の幹)。図9は金木犀の筋模様で、模様がはっきり見えます。

 花ではなく、幹に注目して「木犀」と名付けるセンスは日本人の美意識とはかけ離れています。中国の人は繊細さより粗削りが好みなのでしょうか。

図9 金木犀の幹 犀の表皮に見られるように縦横に筋が入っています。「木犀」と呼ばれるのはそのためです。

田んぼの四季(前回のブログ)補足

図10 稲刈りが終わり、乾燥した那須の田んぼ。写真は息子が撮ってくれました。

 稲刈りが終わると田んぼは水抜きをして土を乾燥させます。水張りと乾燥を繰り返すと土壌にいる病原菌の繁殖が抑えられ、連作が可能となります。これは農家の人たちが長年の経験から得た知恵です。

 前回のブログでは水田がメタンガスの最大発生源であることを見落としていました。温室効果ガスの2.5%が水田からの発生です(朝日新聞、2022/10/2)。水を張った田んぼの土は酸素不足となり、嫌気性のメタン生成菌が活発に活動するからです。発生したメタンガスは稲の根や茎のすき間を通って地上に放出されます。

 そこで考え出されたのが、上で述べた農家の人たちの経験知の活用です。すなわち田んぼの水抜きを一時的に行う「中干し」です。「中干し」により田んぼの土に酸素が供給され、メタン生成菌の活動が抑えられます。メタンガスの発生は半減します。「中干し」は手間や費用をあまりかけずにすむ優れた方法です。農家への普及は今後の課題です。

最初のページへ

秋冬の花, Science, 東京, 樹木

都会の片隅に咲く草花26

(22/9/20 記)

稔の秋-稲とエノコログサ

1.田んぼの四季

 黄金色に染まった田んぼ、秋は米の収穫期です(写真1)。手前に見える稔った穂は自身の重みで稲が倒れかけています。今年は豊作が期待されます。

写真1 那珂川河川敷の田んぼ 右端に那須連峰の裾野が見えます。田んぼの遠景は写真4を参照ください。澄んだ空には刷毛で吐いたような筋雲が見えます。高度は1万メートルに達します。

 春を迎えると田んぼに水を張り(写真2)、5月上旬に田植えをします。苗の成長は早く、初夏には青々と茂った稲が田んぼを覆い尽くします(写真3)。9月も半ばを過ぎると田んぼ一面黄金色に染まります。この写真は、遠くに見える田んぼ(写真4)を、近づいて撮ったものです。

 写真1から4は那須の田んぼが演出する折々の姿です。

写真2 田植え前の水を張った初春の田んぼ。背景の山は那須連峰。山や雲が水面に映って美しい。山には残雪がわずかに見えます。

写真3 初夏の田んぼ。中央の左寄りに見える大きな樹は遊行柳(ゆぎょうやなぎ)。遊行柳は奥州街道の宿駅、那須町芦野にあります。この柳はおくのほそ道に登場し、芭蕉は一句詠んでいます。

田一枚 植えて立ち去る 柳かな

写真4 那須大橋から見下ろした那珂川河川敷の田んぼ。黄金色に染まっています(写真1参照)。背景の山並みは那須連峰。山あり、川あり、木立あり、それに黄金色の田んぼ。美しい景色です。この写真写真1息子が撮ってくれました

 稲刈りが終わると田んぼは水を抜き、土を乾かします。そして翌年、田植えの前に再び水を引きます(写真1)。

 私たちは当たり前にすぎて疑問にすら思いませんが、そもそも田んぼに水がたまるのはどうしてか。砂地なら水は簡単に抜けてしまいます。もう一つの疑問は水を張ったり、抜いたりを年々歳々繰り返すのはどうしてか、です。

 先ず田んぼの土(粘土)の保水力についてです。粘土は1000分の1ミリメートル程度の微粒子からなっています。鉱物だけでなく、土にはえていた草が腐植したもの(草などの植物が腐った土)も混じり粘性があります。粘土と呼ばれる所以です。

 微粒子と微粒子の間には小さな隙間があり、それが連なって毛細管の役目をします。水は重力に逆らい毛細管を登ろうとします(表面張力による)。粘土の保水力はこの重力に逆らう力と水に働く重力とのバランスによります。農家の人たちは無意識のうちに粘土の保水力を利用していたことになります**。水田とはうまく言ったものです。

 田んぼは水張りと乾燥を繰り返すことにより、土壌中にいる病原菌の繁殖が抑えられ、連作障害を防ぐことができます。これは雨量が多く、狭い国土の日本にとってありがたいことです。

 年々歳々繰り返す田んぼの世話は日本人の国民性をつちかったように思います。周りの人を見て自分の行動を決めるとか、忍耐強いとか、強い共同体意識とか・・・。しばしば話題になる「空気を読む」も元をただせば水田の農作業に帰着するのかもしれません。

2.エノコログサ、私も稔の秋を迎えています

 イネ科の雑草御三家***の穂をコップにさしました(写真5)。ブラシのような穂をつけているのはエノコログサ、糸のように細い穂がメヒシバ、やや太いのがオヒシバです。穂を拡大したのが写真6です。どの穂もびっしりタネを付けています。エノコログサは一つの穂に300から800個ものタネを付けると言われています。タネを沢山つけるのはイネ科植物の特徴です。稲や麦もその例外ではありません(写真1)。人類は食料としその恩恵にあずかっています。

 エノコログサ(1年草)に的を絞って話を進めます。大方の特徴はメヒシバやオヒシバにも通用します。エノコログサの穂(写真6)を手でもむとパラパラとタネが落ちます。もみ殻をとると黒いタネが出てきます。大きさは1ミリメートル程度と小さく、澱粉などの養分は硬い殻でまもられています(写真7)。タネは小鳥が食べても消化されず、フンを介して別の場所に運ばれ、そこで芽生えます。夏が過ぎると多数のタネを付けて勢力拡大に備えます。エノコログサは密集して生える性質(群生)があり(写真8)、他の草の侵入を抑えています。田んぼの密集した植え付けはイネ科のこの特徴を利用しています(写真3)。

 エノコログサは粟の原種です。タネは炒って食べられます。風味は香ばしいようです。

写真5 エノコログサ、メヒシバ、        
オヒシバの穂          
写真6 穂の拡大写真 いずれの穂もタネを沢山つけています。
写真7 エノコログサのタネ   写真8 群生するエノコログサ

謝辞 

 このブログは「藤井一至著: 土 地球最後のナゾ ― 100億人を養う土壌を求めて」(光文社新書 2018)に導かれて書きました。著者に感謝します。スコップ片手に土を求めて世界中を飛び回った著者の体験にもとづいています。著者は米どころ富山県のご出身です。田舎育ちの私は話に惹かれて一気に読み終えました。

 話題は田んぼの土から始まり、粘土、陶土、腐植土、黒い土、果ては氷河の削った砂塵が風に乗ってはるばる北欧からウクライナにまで飛んできた話などに及んでいます。興味が尽きません。

脚注

*   遊行柳の説明版によると、名称は 時宗の僧 遊行上人の前に老翁が柳のもとに現れ消えたという言われにもとづくと言われています。

 上人が夜更けに念仏を唱えると柳の精が現れ、極楽往生できることを感謝して舞を舞ったという。舞は室町時代に能「遊行柳」として仕立てられました。

**  粘土は水分を含んでいるため柔らかく、自由に形を作ることができます。熱したり、焼いたりして水分を飛ばすと堅くなり形が固定されます。粘土は陶器や陶磁器、レンガの素材となります。

*** 都会の片隅に咲く草花5(’20 夏草)でも取り上げました。

追記

土に見るウクライナの穀倉地帯

 ウクライナの国土は肥沃な黒い土に恵まれています。黒い土は土壌学ではチェルノーゼムと呼ばれています。砂、粘土、腐植土から構成されています。小麦がよく育ち、7月から8月にかけ収穫期を迎えます。大地は黄金色に染まります。ウクライナの国旗は青と黄の2色からなり立っていますが、黄色は稔った一面の小麦を表しています。(ヒマワリの花という説もありますがいまは問わないことにします。)青は青空です。

 氷河によって削り取られた砂塵は北欧から風に乗ってはるばるウクライナ、ロシア南部、ハンガリーに運ばれ、何百万年もかけて堆積しました。降り積もった砂塵には年々草が生えては枯れ、枯れ葉は腐植(植物が腐る)しました。腐植土は砂塵と混じり、黒い土となりました。まさしく天からの贈り物です。

 大自然が恵んでくれたこの黒い大地では、大ロシアだ、民主主義だと言って人々は殺し合いをしています。「相手を信じ、もう少し大らかな気持ちになれないものか」と黒い土が問いかけているように思います。


最初のページへ