(22/9/20 記)
稔の秋-稲とエノコログサ
1.田んぼの四季
黄金色に染まった田んぼ、秋は米の収穫期です(写真1 )。手前に見える稔った穂は自身の重みで稲が倒れかけています。今年は豊作が期待されます。
写真1 那珂川河川敷の田んぼ 右端に那須連峰の裾野が見えます。田んぼの遠景は写真4を参照ください。澄んだ空には刷毛で吐いたような筋雲が見えます。高度は1万メートルに達します。
春を迎えると田んぼに水を張り(写真2 )、5月上旬に田植えをします。苗の成長は早く、初夏には青々と茂った稲が田んぼを覆い尽くします(写真3 )。9月も半ばを過ぎると田んぼ一面黄金色に染まります。この写真は、遠くに見える田んぼ(写真4 )を、近づいて撮ったものです。
写真1 から4 は那須の田んぼが演出する折々の姿です。
写真2 田植え前の水を張った初春の田んぼ。背景の山は那須連峰。山や雲が水面に映って美しい。山には残雪がわずかに見えます。
写真3 初夏の田んぼ。中央の左寄りに見える大きな樹は遊行柳(ゆぎょうやなぎ)* 。遊行柳は奥州街道の宿駅、那須町芦野にあります。この柳はおくのほそ道に登場し、芭蕉は一句詠んでいます。
田一枚 植えて立ち去る 柳かな
写真4 那須大橋から見下ろした那珂川河川敷の田んぼ。黄金色に染まっています(写真1 参照)。背景の山並みは那須連峰。山あり、川あり、木立あり、それに黄金色の田んぼ。美しい景色です。この写真 と写真1 は息子が撮ってくれました 。
稲刈りが終わると田んぼは水を抜き、土を乾かします。そして翌年、田植えの前に再び水を引きます(写真1 )。
私たちは当たり前にすぎて疑問にすら思いませんが、そもそも田んぼに水がたまるのはどうしてか。砂地なら水は簡単に抜けてしまいます。もう一つの疑問は水を張ったり、抜いたりを年々歳々繰り返すのはどうしてか、です。
先ず田んぼの土(粘土)の保水力についてです。粘土は1000 分の1 ミリメートル程度の微粒子からなっています。鉱物だけでなく、土にはえていた草が腐植したもの(草などの植物が腐った土)も混じり粘性があります。粘土と呼ばれる所以です。
微粒子と微粒子の間には小さな隙間があり、それが連なって毛細管の役目をします。水は重力に逆らい毛細管を登ろうとします(表面張力による)。粘土の保水力はこの重力に逆らう力と水に働く重力とのバランスによります。農家の人たちは無意識のうちに粘土の保水力を利用していたことになります** 。水田とはうまく言ったものです。
田んぼは水張りと乾燥を繰り返すことにより、土壌中にいる病原菌の繁殖が抑えられ、連作障害を防ぐことができます。これは雨量が多く、狭い国土の日本にとってありがたいことです。
年々歳々繰り返す田んぼの世話は日本人の国民性をつちかったように思います。周りの人を見て自分の行動を決めるとか、忍耐強いとか、強い共同体意識とか・・・。しばしば話題になる「空気を読む」も元をただせば水田の農作業に帰着するのかもしれません。
2.エノコログサ、私も稔の秋を迎えています
イネ科の雑草御三家*** の穂をコップにさしました(写真5 )。ブラシのような穂をつけているのはエノコログサ 、糸のように細い穂がメヒシバ 、やや太いのがオヒシバ です。穂を拡大したのが写真6 です。どの穂もびっしりタネを付けています。エノコログサは一つの穂に300から800個ものタネを付けると言われています。タネを沢山つけるのはイネ科植物の特徴です。稲や麦もその例外ではありません(写真1 )。人類は食料としその恩恵にあずかっています。
エノコログサ(1年草)に的を絞って話を進めます。大方の特徴はメヒシバやオヒシバにも通用します。エノコログサの穂(写真6 )を手でもむとパラパラとタネが落ちます。もみ殻をとると黒いタネが出てきます。大きさは1ミリメートル程度と小さく、澱粉などの養分は硬い殻でまもられています(写真7 )。タネは小鳥が食べても消化されず、フンを介して別の場所に運ばれ、そこで芽生えます。夏が過ぎると多数のタネを付けて勢力拡大に備えます。エノコログサは密集して生える性質(群生)があり(写真8 )、他の草の侵入を抑えています。田んぼの密集した植え付けはイネ科のこの特徴を利用しています(写真3 )。
エノコログサは粟の原種です。タネは炒って食べられます。風味は香ばしいようです。
写真5 エノコログサ、メヒシバ、 オヒシバの穂 写真6 穂の拡大写真 いずれの穂もタネを沢山つけています。
写真7 エノコログサのタネ 写真8 群生するエノコログサ
謝辞
このブログは「藤井一至著: 土 地球最後のナゾ ― 100億人を養う土壌を求め て」(光文社新書 2018)に導かれて書きました。著者に感謝します。スコップ片手に土を求めて世界中を飛び回った著者の体験にもとづいています。著者は米どころ富山県のご出身です。田舎育ちの私は話に惹かれて一気に読み終えました。
話題は田んぼの土から始まり、粘土、陶土、腐植土、黒い土、果ては氷河の削った砂塵が風に乗ってはるばる北欧からウクライナにまで飛んできた話などに及んでいます。興味が尽きません。
脚注
* 遊行柳の説明版によると、名称は 時宗の僧 遊行上人の前に老翁が柳のもとに現れ消えたという言われにもとづくと言われています。
上人が夜更けに念仏を唱えると柳の精が現れ、極楽往生できることを感謝して舞を舞ったという。舞は室町時代に能「遊行柳」として仕立てられました。
** 粘土は水分を含んでいるため柔らかく、自由に形を作ることができます。熱したり、焼いたりして水分を飛ばすと堅くなり形が固定されます。粘土は陶器や陶磁器、レンガの素材となります。
*** 都会の片隅に咲く草花5 (’20 夏草)でも取り上げました。
追記
土に見るウクライナの穀倉地帯
ウクライナの国土は肥沃な黒い土に恵まれています。黒い土は土壌学ではチェルノーゼムと呼ばれています。砂、粘土、腐植土から構成されています。小麦がよく育ち、7月から8月にかけ収穫期を迎えます。大地は黄金色に染まります。ウクライナの国旗は青と黄の2色からなり立っていますが、黄色は稔った一面の小麦を表しています。(ヒマワリの花という説もありますがいまは問わないことにします。)青は青空です。
氷河によって削り取られた砂塵は北欧から風に乗ってはるばるウクライナ、ロシア南部、ハンガリーに運ばれ、何百万年もかけて堆積しました。降り積もった砂塵には年々草が生えては枯れ、枯れ葉は腐植(植物が腐る)しました。腐植土は砂塵と混じり、黒い土となりました。まさしく天からの贈り物です。
大自然が恵んでくれたこの黒い大地では、大ロシアだ、民主主義だと言って人々は殺し合いをしています。「相手を信じ、もう少し大らかな気持ちになれないものか」と黒い土が問いかけているように思います。
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