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都会の片隅に咲く草花37(23/8/14記)

 カンカン照りの夏は花に恵まれません。そんな中にあってひときわ目立つのが百日紅(俗名サルスベリ)です(写真1)。

 写真1 百日紅(俗称:サルスベリ)  写真2 つぼみが次から次へと開花する百日紅

 花びらは房状に密集し、遠くから見ても目立ちます。次から次へとつぼみが開花しますので、長期にわたり咲き続けているかのように見えます(写真2)。百日紅と呼ばれる所以です。

 通常の樹木は幹の周りがコルク質で覆われていますが、百日紅にはありません。幹はつるつるです(写真1)。別名サルスベリと呼ばれるのはそのためです。ツタなどが巻き付かないためだそうです。

 花の構造を見るため、花びらを一つ失敬して、水に浮かべたのが写真3です。6片の萼(がく)から花弁が6本出ています。黄色い雄しべが多数見られますが虫を呼び寄せるための偽雄しべです。受精能力はありませんが、ぶどう糖は多めに含まれているとのことです。

 露草もそうでしたが、百日紅の偽雄しべも鮮やかな黄色をしています。地面に到達する太陽光のスペクトルのうち、最も強いのが黄色であることと関係していると思います(日々雑感18 図1)。

 ぶどう糖と言い、黄色と言い、植物の抜け目のなさには感心するばかりです。

 写真3をよく見ると、地味ですがひょろひょろと伸びている本物の雄しべ(葯、やく)が6本あります。葯は花粉をつくる袋で、中に受精能力のある花粉が入っています。

 偽雄しべ群の左寄りに萼から飛び出しているのが雌しべです(緑色)。

 写真3 百日紅の花(詳しい構造については本文参照)

 百日紅の花は長期にわたって順次開花します。受粉に成功した雌しべは早々と実を付けます(写真4)。受粉のできなかった雌しべはやがて落下してしまいます。

 秋も深まり葉が枯れるころになると実ははじけ中から種が飛び出します。種には、モミジのように羽がついていて風任せの放浪をします。たまたま環境の恵まれたところに着地すれば発芽することになりますが、小公園にある3本の百日紅の根元にはいくら探しても発芽の痕跡は見当たりません。それもそのはず、ばらまかれた種の多くが発芽、成長すれば百日紅の木々は共倒れになってしまいます。

写真4 右側は受粉した雌しべが結んだ実。左側は受粉しなかった雌しべ
(実が無い)          
写真5 成熟した実(黒い球)と飛び出した種(上図)。下図はその拡大写真(脚注1)    

片山速夫氏のブログ:オリーブ吹田(サルスベリの花→実→種→発芽→花の一年間と二種類のオシべ)による。

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都会の片隅に咲く草花36(23/7/19記)

 早朝目が覚め、外に出ると露草はすでに開花し歓迎してくれます(写真1)。夜空に青い星が輝いているかのようにも見えます。

 写真1 朝日に輝く露草

 今回は露草の生態観察記です。露草は悪環境にもめげず、あの手この手を駆使して生き残ろうとするしたたかな野草です。

目次
 花の構造
 露草の雄花
 花のしぼみ方
 露草と水滴
 追記 山下清の描く露草
 

花の構造

 接写レンズで花をのぞき込んだ拡大写真が写真2です。鮮やかな色彩とデリケートな構造は繊細なガラス細工を思わせる美しさです。下方に長く伸びているのが雌しべ、それを両側から挟むかのように伸びているのが雄しべです。その先端のふくらみは花粉の入っている袋で、葯(やく)と呼ばれています。破れかけた葯から花粉が飛び出そうとしています。

 花弁は三枚仕立てで、ミッキーマウスの耳の形をした青色の花弁が2枚、半透明の小型の花弁1枚とからなっています。花弁の真ん中に鮮やかな黄色い雄しべ(葯)が4つ位置しています。内訳は花弁近くにあるX字型の葯が3本、雌しべの方にやや飛び出ているY字型の葯が1本です。

 X字型の葯は偽物で、中にある花粉は受粉能力がありません。Y字型の葯には受粉能力のある花粉が入っています。X字型の葯の役割は目立つことにより、虫(アブや小型の蜂)を呼び寄せる役目をしています(写真3)。

 露草は他の株からの花粉がなくても、自らの花粉で受精し、結実します(両性花)。自家受粉は極端な近親結婚で、変異の幅をせばめます。生育環境が変化すれば全滅する危険をともなう反面、確実に結実して子孫を残すことができます。

 
写真2
 露草の花の構造(詳しくは本文)
写真3 花粉を食べに来た小型の蜂(?)

露草の雄花

 露草の花は大部分が両性花ですが、私が観察した株では1割程度が雄花でした(写真4)。雌しべは退化してありませんが、Y字型の雄しべ(葯)は健在です。花粉を食べに来た昆虫に花粉を他株に運ばせるためです。そこで結実すれば変異の幅は広がり、近親結婚の弊害を避けることができます。露草の用意周到さには舌を巻くばかりです。

写真4 露草の雄花 雌しべは退化してありません。花弁から突き出ている雄しべ(葯)が2本、それにY字型葯と偽のX字型葯も健在です。写真5 お昼前の露草。花弁はY字型の雌しべと雄しべを包むようにしてしぼみます。

花のしぼみ方

 露草は早朝に開花し、11時ごろにはしぼんでしまう一日花です。英語では day flower と呼ばれています。巧みなのは花弁のしぼみ方です(写真5)。ミッキーマウスの耳のように広がっていた花弁は雌しべ、雄しべを包むようにしてしぼみ、受粉を促します(同花受粉)。花弁が果たす最後の大仕事です。

露草と水滴

 晴天の早朝、露草を観察すると葉に水滴のみられることがあります(写真6)。ところがわが露草の隣りにあるオシロイバナやオリズルランの葉には水滴は観察されません。露草の水滴はどこからやって来るのでしょうか。

 空気中の水分が過飽和になり、露となって凝縮する現象(結露)は都会ではもう見られなくなりました。クーラーなどによる放出熱量が放射冷却を上回るためです。では水滴の水は一体どこからやって来るのでしょうか。ここで、多田多恵子先生の登場を願います(「したたかな植物たち(春夏編)」ちくま文庫(2019))。

写真6 露草と水滴

 一般に植物の葉は、昼の間は根から吸い上げた水を葉の裏側にある気孔から蒸発(蒸散)させて、水分を葉の隅々まで届けています。夜になると気孔は閉じるため、根から吸い上げた水は葉の内部にたまります。この余分の水分が葉脈の末端にある水孔から葉の表面に吐き出され、水滴となります。

追 記

 最後に山下清によるフェルトペン画、つゆ草を掲げます(写真7)。
放浪の旅をつづけた山下清は「裸の大将」と呼ばれ、すぐれた貼絵を数多く残しました。
 なお、山下清のつゆ草はイラストレーター、益田リミのコラムで知りました(朝日新聞、23/7/15)。

  写真7 フェルトペン画 つゆ草 (山下清)

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都会の片隅に咲く草花35(23/6/26記)

 多田多恵子の近著「ワンダーランド道草」(NHK出版2023)を中心に取り上げます。身近な植物たちの巧みな生き残り戦術を分かりやすく、簡潔にまとめている入門書です。彼女は植物生態学の専門家ですが、在野の研究者のためでしょうか、専門臭のないユーモアのある文章は読む者を飽きさせません。

 冒頭の第1章では「新芽の赤」が取り上げられています。生垣によく見られるカナメモチ(俗称 赤芽)は新芽が赤い常緑樹です。写真1はわがマンションと隣との境に植えられているカナメモチです。

写真1 生垣として植えられているカナメモチ 透きとおるような赤い新芽が美しい(頭の部)。

 葉は太陽の光エネルギーを使って葉緑体で澱粉などを光合成しています。しかし新芽が太陽光の紫外線を受けると葉緑体の遺伝子が壊され、正常な光合成は不可能になります。そこで新芽は赤いサングラスをかけて紫外線をよけています。新芽が赤い色素のアントシアニンで赤く染められているのはそのためです。アントシアニンが紫外線を吸収します。

 注意すると、赤い新芽は多くの植物で見られます。わが家のベランダの主、朝鮮定家葛(つる性の多年草)も新芽は赤いサングラスをかけています(写真2)。写真3は葉の拡大写真です。新芽は成熟するにつれて赤い色素を失い緑色に変わっていきます。この本に出合う以前は新芽の赤色が紫外線よけだとは思いませんでした。

写真2 朝鮮定家葛 
ツル性のため網戸に沿って赤い
新芽が這い上がっています。
写真3 葉の拡大写真

 カナメモチの場合はどうでしょうか。朝鮮定家葛の場合と同様の過程をたどって、カナメモチの新芽も赤から緑に変化していきます(写真4)。

写真4 カナメモチの葉が赤色から緑化していく過程

 都会の片隅で咲く草花 33 で取り上げたドウダンツツジの花芽も赤いサングラスをかけていました。晩秋、真っ赤に染まった葉が落ちると花芽(カガ)と葉芽(ヨウガ)は一緒に赤い苞葉(ホウヨウ)で包まれます(写真5)。多田流で言えば、赤い苞葉は紫外線を避けるためのサングラスです。春が来ると中から鈴のような白い花と若い葉が飛び出します(写真6)。中央にある開花寸前の花は緑色を帯びています。花柄のもとには若い葉がついています。

 都会の片隅で咲く草花 33「2.ドウダンツツジのライフサイクル」を記した時点では赤い苞葉がサングラスだとは気が付きませんでした。すぐれた入門書に出会って初めて赤い苞葉のなぞが解けました。

 写真5 赤い苞葉で包まれたドウダンツツジの花芽と葉芽 写真6 苞葉から顔を出した花と若葉 開花前のつぼみ(写真の中央部分)は薄い緑色をしています。

 この本は第1章 春の道草に続いて、第2章 夏の道草、第3章 秋の道草、第4章 冬の道草、植物学の基礎を解説した道草ガイド(付録)で構成されています。

 付録は、花の役割とつくり、葉の役割とつくり、植物の調べ方(知らない植物に出会ったら?)、植物の名前および学名、とから成り立っています。用語解説、道草を楽しむための持ち物もイラスト付きで紹介されています(写真7)。本書は実用書としても価値があります。

写真7 「道草ワンダーランド」を楽しむための持ちもの

 私たちは四季折々の果物を味合うことのできる恵まれた国に住んでいます。果物と言えば実(ミ)を食べているのだと漠然と考えていますが、いったい実のどの部分を食べているのでしょうか。

第3章「秋の道草 その2 果物のつくり」では、柿、さくらんぼ、リンゴ、いちご等々が取り上げられています。

 予備知識として、花のつくり(写真8)を先ず述べ、それから果物の話に移ります。花のつくりは「ワンダーランド道草」(p 82-83)からの引用です。専門用語をオブラートに包んだ解説は多田流文章の真骨頂です。

 『花は、雄しべ、雌しべ、花弁、萼(ガク)から構成されています。雌しべの基部にあるふくらみが「子房」で、胚珠を包んで守っています。雌しべの柱頭に花粉がついて受精が行われると、子房は「実」に、「胚珠」は「種子」に育ちます。

 一般に動物は雄と雌が別々ですが、植物は雌雄同体が大多数です。自力で動けない植物は、キューピッドが来ない場合の保険として雌雄の器官を同じ株に配置するようになったということでしょう。

 でも、なぜ植物はわざわざ花を咲かせるのでしょう。数を増やすだけなら、雄だの雌だのと面倒なステップを踏まずに、球根とか地下茎で増やしたほうがよほど早くて楽なのに。

 球根とか地下茎で増えた株はすべて親と遺伝的に同一のクローンです。みな同じ性質なので、環境の急変や病気の流行によって全滅の可能性があります。

 一方、花を咲かせて他の株の花粉を受け取ってつくられた種子には、さまざまな遺伝子の組み合わせがあります。だからこそ長い歴史の中で生き残ることができました。いざとなったら自分の花粉で受粉するという抜け道を残しながらも、だから植物は花を咲かせるのです。』

 このような調子で説明されると堅苦しい話もツルッと飲み込んでしまいます。

写真8 花のつくり 果物の実(ミ)は子房が育ったものです。
種(タネ)に育つ部分は胚珠(ハイシュ)です。
リンゴは例外で、雌しべを支えている花の土台部分(花托)
が膨らんだものですが、ここでは触れません。

 図の横長の囲みの部分は読み取りにくいので、取り出してかなを振りました。左側の上から順に列挙します。柱頭(ちゅうとう)、花柱(かちゅう)、子房(しぼう)、胚珠(はいしゅ)、右側に移って上から順に葯(やく)、花糸(かし)、花弁(かべん)、萼片(がくへん)、萼筒(がくとう)です。専門用語のジャングルです。

 果実の話に移ります。私たちは果実のどの部分を食べているのでしょうか。答えは意外にも「果皮」です。果実の皮が膨らんだ部分です。柿を例に説明します(写真9)。

 口の中で柿の種を縦にして強く噛むと二つに割れ、中から葉と葉柄のミ二チュアが現れます。子供のころ経験された方が多いと思います(写真9 左下)。種にはこんな秘密が隠されていたのだと、神妙な気持ちになったのを思い出す人も多いと思います。

 写真9の右側は雌花、左側は実(み)の断面写真です。種(たね)はこげ茶色の硬い皮(種皮)で覆われています。種は3層からなる果皮(内果皮、中果皮、外果皮)で包まれています。中果皮は柔らかな果肉となり、それを鳥や哺乳類が食べ、種を運ばせているのです。こうした実(み)の中で人が食べても美味しいのが果物です。

 果物は動物に種を運ばせる手段だったのです。私たちはそれをちゃっかり頂戴しているというわけです。

 種の周りはゼリー質で包まれています。内果皮です。柿を食べた動物が種を噛み砕く前に喉の奥に滑り込ませるためです。あんぽ柿を食べると種の周りにこのゼリー質がついているのに気づいた方は多いと思います。

写真9 柿の雌花と実 種を包んでいるこげ茶色の硬い皮は種皮。種を包んでいるのが果皮で、内果皮、中果皮、外果皮の三層からなっています。右側にあるのが雌花です。

謝辞

  今回のブログは多田多恵子の近著「ワンダーランド道草」に負うところが大きく、著者に感謝します。写真7-9は本書からの引用です。

余録 その1

素敵な名前の美しい花 3題

 写真10は玉川高島屋の屋上で撮りました。長さが10センチほどもある大型の花です。鳥の頭のような形をしています。南アフリカを中心に分布し、葉が美しく観葉植物として栽培されているようです。どうしてこのような奇妙な形の花を付けるのか不思議です。受粉のため鳥を呼び寄せるためとは考えられません。

 写真11は私たちが住むマンションの管理人室の前に飾られている鷺草です。白い鷺が羽を広げて飛んでいるかのようです。花から長さ3―4センチの緑色の垂れ下がりは、先端が次第に太くなっています。これは距(キョ)と呼ばれ、末端には蜜がたまっています。この鷺草は花好きである管理人の奥さんが球根から1年かけて育てたとお聞きしました。

写真10 Bird of paradise(楽園の鳥)     写真11 鷺 草    

 写真12,13は小型のセントポーリア、フェアリーファウンテン(fairy fountain、妖精の泉)です。1年ほど前、葉挿ししておいたのが育ちました。みるみるうちに葉柄が伸び、その先に小さな白いつぼみがつきました(写真12)。つぼみは泉から飛び散る水滴のように見えます。

fairy fountain(妖精の泉)とはうまく名付けたものです。紫がかった薄いピンク色の八重の花は妖精の衣でしょうか(写真13)。

写真12  開花寸前のFairy fountain写真13 開花したFairy fountain

余録 その2

赤と白の2段のサングラスをかけた朝鮮定家葛

(ページ上部の)写真2,3はわがベランダの朝鮮定家葛ですが、近所の家の玄関への通り道に見事な朝鮮定家葛が植えこまれています(写真14、拡大写真は15)。

 先端の葉芽は赤色ですが、その下の白い若葉を経て、緑色の葉に変わっていきます。あたかも女子学生が夏服に衣替えしているかのようです。白はすべての色の光を反射しますので、赤いサングラスほどではなくても紫外線の強度を緩和しているのでしょうか。

 写真15を眺めると、まず点状の葉緑素が白い葉に生じ、それが徐々に成長していきます。なんとも不思議です。

写真14 赤白緑で彩られた朝鮮定家葛 写真15 左の拡大写真

余録 その3

夏はやっぱりポーチュラカ

 今年買い求めたポーチュラカは大当たりです。直径が3.5センチメートルほどもある色とりどりの大型の花を付けます。夏の終わりまで咲き続けます。

 朝、カーテンを開くと所せましと咲き誇ったポーチュラカが目に飛び込んできます。「お爺さん、元気を少しお分けしましょうか」と声をかけられているような気分になります。

 1日花ですから、一日ごとに花は総入れ替えです。子孫繁栄のためとは言え、消耗するエネルギーは相当なものです。もう少し倹約してもよさそうに思いますが。

写真16 ベランダのハンギングに植えたポーチュラカ
        100万ドルのポーチュラカと勝手に名付けています。
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都会の片隅に咲く草花25

(22/8/8 記)

 今回は草花ではなく、都会の狭小地にそそり立つ大ケヤキと個人宅の中庭を覆い尽くすサルスベリを取り上げます。大ケヤキは「日々雑感1」と「都会の片隅に咲く草花16」でも触れました。重複のあることをお許しください。

 写真1の大ケヤキは東急大井町線と4階建てマンションとの間にあるわずかな土地に根を張っています。樹高は20メートル、幹の太さは直径1メートルに達します。太い幹には圧倒されます(写真2)。

写真1 大ケヤキ(世田谷区保護樹木)高さ20 m

写真2 大ケヤキの幹(直径 1m)写真3 個人宅の大ケヤキ
幹の上半分が切り取られています。

 家の密集している都会では大木は危険な存在です。強風にあおられて大きな枝が折れたり、根こそぎ倒されたりすればぶつかった家は壊れます。そればかりか人身事故にさえなりかねません。

 私の住んでいる奥沢のあちこちにある大ケヤキは町のシンボルでしたが、最近幹の上半分を切り落とす家が多くなりました(写真3)。切り落とすと幹の太さの割には丈がなく、葉のない冬場は不釣り合いに見えますが、春になると緑の葉で覆われ見映えもよくなります。

 奥沢界隈の住民によく知られている木にもう一つあります。サルスベリの老大木です(写真4)。個人宅の中庭いっぱいに広がる花の山は見事です。まさしく百日紅です。

 これだけの花を支えるには太い幹が必要です(写真5)。幹には説明書きが張ってあります。タイトルの「サルスベリ ミソハギ科」までは読めましたが、説明書きは字が小さく塀の外からは読み取れませんでした。

写真4 サルスベリ(奥沢の名木) 
写真5 サルスベリの太い幹

 大ケヤキに因んで私の好きな長田弘の詩を一つ。

 《空と土のあいだで》

どこまでも根は下りてゆく。どこまでも
枝々は上ってゆく。どこまでも根は
土を掴もうとする。どこまでも
おそろしくなるくらい
大きな樹だ。見上げると、
つむじ風のようにくるくる廻って、
日の光が静かに落ちてきた。
影が滲むようにひろがった。
なぜそこにじっとしている?
なぜ自由に旅しようとしない?
白い雲が、黒い樹に言った。
三百年、わたしはここに立っている。
そうやって、わたしは時間を旅してきた。
黒い樹がようやく答えたとき、
雲は去って、もうどこにもいなかった。
巡る年とともに、大きな樹は、
節くれ、さらばえ、老いていった。
やがて来る死が、樹にからみついた。
だが、樹の枝々は、新しい芽をはぐくんだ。
自由とは、どこかへ立ち去ることではない。
考えふかくここに生きることが、自由だ。
樹のように、空と土のあいだで。

 上の詩が収められている詩集「人はかって樹だった」(みすず(2006))のあとがきに、最も親しい存在はとたずねられれば「毎日その下の道を歩く、一本の大きな欅の木」とこたえるとありました。

空と土のあいだで自由に生きる大ケヤキ:夏、秋、冬、春

 「黒い樹」の大ケヤキ 「さらばえる」大ケヤキ
「やがて来る死」の大ケヤキ「新しい芽をはぐくんだ」大ケヤキ

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都会の片隅に咲く草花 24

(22/8/6記)

 フヨウ、ムクゲ、アオイは夏の強い日差しにもかかわらず可憐な花を付けます。いずれもアオイ科の花木で、花は互いに似ています。1日咲きですが、つぼみが次から次へと開花しますので夏中楽しむことができます。

写真1 フヨウ 写真2 ムクゲ
写真3 アオイ写真4 モミジアオイ

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都会の片隅に咲く草花20(続 エノコログサ)

(21/8/13 記)

 前回のブログでイネ科の野草、エノコログサを取り上げました。夏も終わりに近づくとエノコログサの穂は茶色になります。そしていつの間にか枯れ果て、エノコログサの草の生えていたことすら忘れられてしまいます。

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写真1 茶色くなったエノコログサの穂写真2 エノコログサのモミと種

 うす茶色になったエノコログサの穂に実(み)がびっしりついているのを見つけました(写真1)。その穂をつまみ、ほぐすと 1mmほどのモミがパラパラと手のひらに落ちます。それをつぶすとモミから数個の黒い種(0.5mmほど)が出てきます(写真2)。モミの形や色は稲の籾とそっくりです。違いは大きさだけです。エノコログサはイネ科なんだと合点です。

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写真3 毛のついたエノコログサ
の種。束になった毛の先に黒い小
さな種がついています。
写真4 ポロシャツについた毛
の付いた種

 穂をていねいにほぐすと穂から毛のついたまま種が落ちます(写真3)。毛は動物(小鳥?)にくっつき、種を遠くまで運んでもらうためだそうです。毛が子孫繁栄のための手段だとは驚きです。因みにエノコログサの穂を軽くシャツにこすると種が付着しました(写真4)。

 エノコログサと稲は籾が穂にびっしり詰まっているところは似ていますが、稲には毛がありません(写真5)。種を遠くまで運ぶ必要がないからでしょうか。

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写真5 稲の穂 稲の背丈は約1m写真6 トウモロコシ畑
トウモロコシの背丈は約2m

 イネ科の植物にトウモロコシがあります。トウモロコシ(写真7)ってイネ科?と思われる人も多いと思います。実(み)がぎっしり詰まっているところはエノコログサや稲(写真1、4)と似ています。葉の形も似ています。違いはトウモロコシの方が実も葉もサイズの大きいことです。

 エノコログサグサや稲と違って、トウモロコシは茎の先にススキのような雄花が咲きます(写真6)。花粉は一株当たり2000万粒もあるそうです。自株や他の株から飛んでくる花粉を雌しべが確実に受粉するためです。なりふり構わずのばらまき作戦です。

 受粉作戦はそれだけではありません。雌しべ(絹糸)がトウモロコシの先端部に顔を出す前に雄花は咲き出します。雌しべを確実に受粉させるためです。受粉すると雄しべは絹糸の中にある受粉管を通って、芯(穂軸)にある粒に届き受精します。粒は実となります(写真7)。この写真では実(み)は約500粒あります。絹糸も500本あることになりますが数えていません。

 絹糸は下の方から先に伸びますのでトウモロコシの実は下から順につきます。先になるほど実が小さいのはそのためです。

 受粉を終えた絹糸は粒から切れます。トウモロコシの皮(葉身)をむくと付け根の方にある絹糸は簡単に実から離れてしまいます。それに対して未熟な実のある先端部は絹糸がしっかりくっついています(写真7)。

 普段なら料理の前に皮とともにはぎ取ってしまう絹糸ですが、意外な物語が隠されていました。

写真7 トウモロコシ ぎっしり詰まった実は約500粒。毛(絹糸)は雌しべ。頭の先にある毛は出荷時に切り落とされています。実(み)は穂軸の先ほど小粒です。

追記

 コロンブスはアメリカ大陸を発見(1,492年)したとき、アメリカ先住民の栽培していたトウモロコシをヨーロッパに持ち帰りました。16世紀半ばにはトウモロコシの栽培は地中海一体に広がりました。大航海時代の貿易船により瞬く間にトウモロコシは世界中に広がりました。

 室町時代(1579年)には日本にも伝わってきました。当時の日本人は唐から来た新種のもろこし(イネ科の植物)と思い込み、トウ・モロコシと名付けたようです。アメリカ大陸を出発して大西洋、インド洋を回り、はるばる日本にやってきたとは知りませんでした。

謝意 

写真5、6はweb上に公開されていたものを借用しました。トウモロコシの植物学は「アキバ博士の農の知恵」(JA福岡のホムページ)を、追記はWikipedia を参考にしました。

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都会の片隅に咲く草花19(ムクゲ他)

(21/7/23 記)

 青空にむくむくと立ち上がる入道雲、強い日差しを受けた白い道は夏の風物誌です。内田正泰はその光景をはり絵でとらえています(写真1)。田んぼ一面の緑は稲が盛んに澱粉を光合成している証です。澱粉はお米の主成分です。

 こういう風景に接すると疎開先で迎えた8月15日を思い出します。このブログの終わりで触れます。

写真1 内田正泰 はり絵 白い道

 夏になると春を彩った草花に代わり、散歩道は見慣れた野草たちの世界となります。御三家はエノコログサ(写真2、別名ネコジャラシ)、メヒシバ(写真3)、オヒシバ(写真4)です。いずれもイネ科の植物です。イネ科の植物は風媒花のため花弁は退化してなくなっています。種(実)は穂に沿って密集して多数付きます(写真2-4)。イネ科植物のこの特徴を利用して穀物である米や麦が効率的に生産され、私たちの食糧を支えています。

 オヒシバの別名は力草です。地面深くまで根が張っているため引き抜くのに力が要るからです。表面の土が強い日差しで乾燥しても、青々としているのはそのためです。

写真2 エノコログサ
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写真3 メヒシバ写真4 オヒシバ

 イネ科の野草に負けじと盛夏を彩る花木にアオイ科の御三家があります。ムクゲ(写真5)、アオイ(写真6)、フヨウ(写真7)です。花はつぎつぎと咲きますが、個々の花は短命です。朝咲いて夕方にはしぼんでしまいます。花の作りはあっさりしていていかにも夏向きです。

写真5 ムクゲ 色のついた花も
普通に見られます。
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写真6 タチアオイ 写真7 フヨウ

 都会を離れて田舎に行くと、農家の道端に直射日光をものともせず、赤や黄色のカンナが咲いているのを見かけます。赤いカンナと言えば茨木のり子の戦争体験を詠んだ詩が思い出されます。

根府川の海

 
 根府川
 東海道の小駅
 赤いカンナの咲いている駅

 たつぷり栄養のある
 大きな花の向うに
 いつもまっさおな海がひろがっていた

 中尉との恋の話をきかされながら
 友と二人ここを通ったことがあった

 あふれるような青春を
 リュックにつめこみ
 動員令をポケットにゆられていったこともある

 燃えさかる東京をあとに
 ネープルの花の白かったふるさとへ
 たどりつくときも
 あなたは在った

 丈高いカンナの花よ
 おだやかな相模の海よ
 沖に光る波のひとひら
 ああそんなかがやきに似た
 十代の歳月
 風船のように消えた
 無知で純粋で徒労だった歳月
 うしなわれたたった一つの海賊箱

 ほっそりと
 蒼く
  国をだきしめて
 眉をあげていた
 菜ッパ服時代の小さいあたしを
 根府川の海よ
 忘れはしないだろう?

 女の年輪をましながら
 ふたたび私は通過する
 あれから八年
 ひたすらに不敵なこころを育て

 海よ

 あなたのように
 あらぬ方を眺めながら……。

写真8 相模湾を臨む根府川駅

 オレンジ色のカンナが咲いています。遠くに見えるのは真鶴岬。根府川駅は小田原と熱海の間にある小さな駅で、現在は無人駅です。東海道本線に無人駅があるとは・・・。

(この写真はネット上に公開されている画像をコピペしました。)

蛇足「海賊箱」は海賊が宝物をしまっておく、鍵付きの箱です。類似のものに宝石箱があります。


 そうです。8月15日は終戦記念日です。日本は1945年のこの日に無条件降伏しました。戦争の誤りと国民が受けた甚大な被害を記憶に留め、平和の大切さをかみしめる日です。人類滅亡を避けるためには核兵器廃絶と平和の大切さを世界に訴え、それに向かって行動する義務を私たち日本人は負っています。

 TOKYO2020はそのことを訴える絶好の機会だったのに逃してしまいました。

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都会の片隅に咲く草花18(ガクアジサイ)

(21/6/29 記)

 じめじめした梅雨の季節に、さわやかな気分にしてくれるのは真っ青(さお)なアジサイです。球状に花をつけたアジサイ(写真1)が本家のように思われていますが、原種は日本の火山性土壌に自生しているガクアジサイです(写真2)。

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写真1 てまり咲きアジサイ写真2 ガク(額)アジサイ

 ガクアジサイの拡大写真が です。縁をかたどっている花弁は中性花(装飾花)です。中心部分にある繊細な作りは無数の雄しべ(小さな点)と花弁(青色)と雌しべ(花柱)からなっています。花柱(青色)は各花弁の中心部に数個うずもれていますがこの写真では識別できません。子孫を残すためにこれほど多くの雌しべを用意するアジサイのしたたかさに驚かされます。

 ガクアジサイを品種改良したのがセイヨウアジサイで、ほとんどが装飾花で構成されています(写真1)。てまり状に咲きです。

 進化の賜とはいえ、ガクアジサイのような繊細な構造がこの世に存在すること自体がなんとも不思議です。
 アジサイの花や葉を乾燥させたものは漢方薬として知られています。

 意外ですが、甘茶の木はガクアジサイの変種です。その若葉を蒸し、揉み、乾燥させたものを煎ずれば甘茶です。お釈迦様の誕生日をお祝いする花まつりには欠かせません。

写真3 ガクアジサイの拡大写真 縁をかたどる4弁花は中性花(装飾花)。額の中心部にある青色の小さな花は花弁です。花弁は雌しべの守り役で、その中心部に雌しべ(花柱)がうずもれています。この写真では花柱を識別することは困難です。無数にある黄色い点は雄しべです。

蛇足:

 ガクアジサイの英語は lacecap hydrangea 。すき間をあけて配置されている装飾花を「レース(lace)でできた帽子(cap)」とは、うまく名付けたものです。拡大写真3を眺めているとレースの帽子をかぶった貴婦人が飛び出してきそうです。日本名の額縁の額はなんとも味気ありません。

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都会の片隅に咲く草花7(百日紅)

(20/9/15 記)


 夏の遊歩道は変化に乏しく、夏草と常緑樹の世界です。目新しいのは厳しい日差しにさらされた桜の枯れ葉が路上に散らばっているくらいです。老いた私があちこちに寝転がっているようでもあり、身につまされます。

 気温が8℃以下になれば赤や黄に桜の葉は色づき楽しませてくれます。いましばらくのお預けです。



路上に散らばる桜の落ち葉。

いかにも疲れた果てた様子です。

 暑さに負けず、元気よく花をつける樹木もあります。百日紅です。別名サルスベリ。花は紅と白色があります。マンションの向かいにある小公園の入り口には、両脇に紅と白の一対のサルスベリが植えられています。遊びに来る幼稚園の子供たちを歓迎しているかのようです。


 父の祥月命日に因んで九品仏浄真寺へお墓参りに行きました。名樹、大イチョウはまだ緑の葉で覆われていましたが、よく見ると小さなギンナンが鈴なりでした(下右側の拡大写真)。秋の近いことを教えてくれます。そしてイチョウの黄葉が近いことも。

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都会の片隅に咲く草花6(アオイとその仲間)

(20/8/17記)


 真夏になると遊歩道の草花はしぼみ、華やかさがなくなります。草花に代わって登場するのが花木です。遊歩道ではアオイ科の仲間たちの出番です。本家のアオイ(葵)とその仲間であるムクゲ(木槿)とフヨウ(芙蓉)です。

 写真は両方ともアオイ(葵)で、左はタチアオイ、右はモミジアオイです。タチアオイは読んで字のごとくすっと立ち上がり、背丈もあります。

 モミジアオイは庭の柵から遊歩道ではなく、一般道に向かって咲いていたものです。赤い花は一瞬たじろぐぐらいの鮮やかさです。花の咲き方もタチアオイに比べ大胆です。葉はモミジの葉のように深く切れ込んでいるのが特徴です。名前の由来です。

 ムクゲの花は地味ですが、色とりどりです。よく見かけるのはピンクの花弁に中が赤色のものです。白の花弁に赤もあります。白に中が黄もあります。ムクゲの花は順に咲きますので花期の長いのが特徴です。ムクゲの花言葉は「一途な心」「粘り強さ」で、韓国の国民性と相性がいいように見えます。ムクゲは韓国の国花でもあります。

 それに対して、日本の国民性と相性がいいのは「三日見ぬ間の桜かな」のあの桜です。淡白で、お茶漬けさらさらという感じです。近年、韓国といい関係が築けない遠因はこんなところにあるのかもしれません。


ムクゲ 色とりどりの花のオンパレード



 フヨウは葉っぱが大きく広がり、薄いピンクか白い花を付けます。涼しげな雰囲気を漂わせます。このピンクの花ではミツバチ(写真では黒い点)が花粉にまみれながらしきりに密を吸っていました。

 アオイの仲間たちは遊歩道に沿って広く分布するのではなく、歩道の終点近くに集中しています。この遊歩道の主役は桜並木で、両側はつつじの植え込みが中心です。ここ以外の場所にアオイは見当たりません。鉢植えのアオイが大きくなり、困った近所の人が遊歩道に植えたのではないのかと勘繰りたくなります。

 そう思わせる節が二つあります(次の写真参照)。遊歩道の縁石とアスファルトのわずかなすき間に百合が見事に咲いていました。この百合は捨てられた鉢植えの球根が野生化したとしか考えられません。また歩道の植え込みから頭を出しているのはアルストロメリアです。これも鉢植えが野生化したものと思われます。このように遊歩道は体のいい鉢植えの「捨て場」になっています。

 その他にも花期を終えたものに小海老草、黄花菖蒲、タマスダレがあります(都会の片隅に咲く花4同5参照)。

 このように野畑では見られない園芸種が次々と「捨て場」を彩ってくれます。心無い鉢植え愛好者への優雅な逆襲です。


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Arts, 自宅周辺の花, 夏の花, 東京

都会の片隅に咲く草花5(‘20 夏草)

(20/8/2記)

 都会には野原がない。公園や遊歩道、大学のキャンパスなどの雑草は定期的に刈り込まれるため、夏草の伸び伸びとした姿はない。それらしきものは線路沿いの土手にみられる程度です。

線路沿いの土手に茂る夏草

 以下の画像は夏草の代表選手たちです。

エノコログサ(狗尾草) 名前は穂先が子犬のしっぽに似ていることに由来します。コイヌオがなまってエノコロになったのでしょうか。俗称はネコジャラシ。穂は固い毛で覆われていますが、その奥には小さな、地味な花がびっしり詰まっています。


メヒシバ メは女性を意味し、穂は細長く弱々しく見えます。穂には肉眼でやっと見える程度の小さな花が並んでついています。



オヒシバ オは男性を表しています。穂は太く、いかにも強そうに見えます。根はよく張り、なかなか抜き取れません。力草とも言われています。穂には小さな花が並んでつきます。メヒシバとは同じイネ科ですが、その仲間ではありません。




 エノコログサ、メヒシバ、オヒシバはいずれもイネ科の植物です。イネ科の植物は効率よく光合成をおこなうC4 植物に分類されます。C4 植物は空気中から二酸化炭素を速やかに取り込み、炭素4個の化合物を作る酵素を持っています。(大部分の植物は炭素3個の化合物を作るC植物。トウモロコシはC4 植物。)そのためC4 植物は気孔を大きく開く必要がなく、葉からの水分蒸発量は少なくてすみます。C4 植物の水の消費量はCの半分に過ぎません。都会の悪環境にも関わらず、強い日照りのもとでエノコログサなどの夏草が青々と茂る理由はここにあります。


ヒメムカシヨモギ 線路沿いでよく見られるので鉄道草とも言います。一番右側のには小さな花がついています。ヒメ(姫)は花が小さいことを指します。ムカシ(昔)の由来は不明。北アメリカ原産で、明治時代に確認された帰化植物。同じヨモギ属には次の欧州ヨモギがあります。草餅でなじみ深いヨモギ(別名モチ草)は都会では見られないように思います(私見)。



欧州ヨモギ 道端でごく普通に見られます。ヨモギ属の一種。温帯ヨーロッパ、アジア、北アフリカ、アラスカに分布。帰化植物として北アメリカでも観察されています。





 緑一色の夏草。目にしても大方の人はただ見過ごしてしまいます。なかには、夏草に誘われ思いを深くこらす人がいます。

1.詩人 高見順

   われは草なり伸びんとす

   われは草なり緑なり

   草のいのちを生きんとす

と詠った夏草賛歌です。詩の全文は 日々雑感1 にあります。


2.仏教学者 鈴木大拙

『各自が自己の緑をもちながら、他己(たこ)の緑と一つに、山野を限りなきはて(果て)まで充実させているのである。』

 あるいは、山野一面の緑は個々の夏草(エノコログサ、メヒシバ、ヒメムカシヨモギなど)に由来していると言い直すこともできます。

 最初の文章を抽象化すると「多即一」、続く文章は「一即多」となります。一即多、多即一は仏教の教えです(華厳経)。夏草が経典へ導いてくれたことになります。

大熊玄編:はじめての大拙 p54、(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2019)

 原文 鈴木大拙:新編 東洋的な見方 (上田閑照編)(岩波 1997)pp 35-36

『緑一色の春の天地であるが、この緑には無限の変化がある。植物の数が、いくらあるか、わからぬが、そのわからぬ数ほどの変化を、そのままに孕(はら)んで、緑は一色に天地を染め出しているのである。言葉で現すと、一即多、多即一とでもいうべきであろう。そうしてその「多」すなわち「一切」の個々が、そのままに、他の一切の個個を包んでいると同時に、自分は自分として、その特殊性を保持していく。しかし、ここでは、どの一つの草木も、「われこそほんとうの緑だ」といって、他余すなわち他己を排することはしない。各自が自己の緑をもちながら、他己の緑と一つに、山野を限りなきはて(果て)まで充実させているのである。』


3.俳人 松尾芭蕉

   夏草や兵(つわもの)どもの夢の跡

 緑一色に染まった奥州高館(たかだち)の古戦場に、足を運んだ芭蕉が詠んだ句。源義経と武者たちが華々しく戦い、討ち死にした戦場です。いまはただ夏草に覆われ、何の痕跡もありません。その儚さ(はかなさ)を詠った名句です。

哲学的な文章は一般に分りにくい。その点、大熊玄による「大拙」は要点が分かり易い文章で表現されています。

C4 植物の巧みを詩人 高見順、鈴木大拙 先生、松尾芭蕉 翁はご存じだったのでしょうか。ご存じでなくても素晴らしい文化が創造されています。C.P. Snow の指摘した二つの文化(文と理)の隔たりは強調され過ぎない方がいいように思いました。


 長かった梅雨もようやく明け、暑い夏を迎えます。いつもの散歩道で涼しげに咲いた白い花に出会いました。その名は夏の風物詩にふさわしい玉簾(タマスダレ)。束状の細長い葉は簾と見まがうばかりです。


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都会の片隅に咲く草花4(’20年 梅雨編)

(20/7/22記)

 今年は九州の豪雨を始め雨の日の多いお天気でした。蒸し暑い日はありますが、真っ青な空に入道雲はまだ見られません。春を彩った草花は姿を消し、エノコログサ、オヒシバ、メヒシバ、ヒメムカシヨモギなどの緑の濃い夏草が元気づいています。注意深く観察すると申し訳なそうに花をつけている草花に出会います。

 先日、散歩道のつつじの植え込みに顔を出している茶褐色の奇妙な花を見つけました。PictureThis が小海老草であることを教えてくれました。緑色の海をあたかも子海老が泳いでいるようで、 naming の妙を感じます。拡大図を見ると、海老のしっぽの殻が輪のようにつながっているところまで似ています。どんな虫を呼び寄せようとしているのか不思議です。まさかプランクトンではないでしょうね。

          

 湿り気が多いせいか遊歩道に黄花菖蒲が咲いていました。5日後には花はしぼんでしまいましたが、細長い葉っぱにはニイニイゼミの抜け殻を見つけました。そういえば昨日ジー、ジーと鳴いているニイニイゼミの声を聴きました。梅雨が長引いているとはいえ夏の近いことを教えてくれます。

                        

 アカマンマがタデ科の草花(属名:犬蓼)であることを知り驚きました。「蓼食う虫も好き好き」のあのタデの仲間です。犬がついているのは食用のタデ(ホンタデ)と異なる種であるためです。タデってアカマンマのことかぁ、と子供のときのような感動を覚えました。

 最後の写真は犬辛子(犬辛子属)です。黄色い十字の花をつけます。食用の芥子菜(アブラナ属)と区別するため犬がついています。

 現在のように犬がペットとしてもてはやされる時代とは異なり、名付けられた当時はややさげすむ気持ちを「犬」で表したのではないでしょうか。

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