Arts, Science, 日々のこと, 東京, 樹木

日々雑感43(24/4/29記)

 世田谷区の保護樹木に指定されている大ケヤキについては以前に取り上げました(都会の片隅で咲く草花40(22/11/30)。葉の落ちた2月に大ケヤキの枝は大胆に取り払われ骸骨のようになりました(写真1)。が、2か月ほどたつと残された枝に葉が出てきました(写真2)。ケヤキの生命力に圧倒されます。

写真1 すっかり枝の折払われた   
    大ケヤキ(24年2月)       
写真2 葉を取り戻した大ケヤキ
(24年5月初旬)

 それだけではありません。大ケヤキの下にはゴミ置き場がありますが(写真3)、屋根に落ちたケヤキの種は樋(とい)に流され、そこで発芽します(写真4)。発芽したケヤキは直根のついたまま引き抜くことができ(写真5)、鉢に移植しました(写真6)。

写真3 マンションのゴミ捨て場    
屋根の右端に沿って樋(トイ)があります。              
写真4 樋(トイ)に沿ってケヤキのこぼれた種が発芽しています。
写真5 発芽したケヤキ         
双葉が残っています
写真6 移植したケヤキ

 ケヤキはまた盆栽として育てることもできます。そのためには直根を双葉の下 1 cm ぐらいのところで切り落とします(写真7)。軸切りした3株を鉢に植えましたが一株だけが根付きました(写真8)。私が生きている内に少しは盆栽らしくなってくれるかと願うばかりです(写真9)。

写真7 軸切り後のケヤキ写真8 軸切りしたケヤキ

写真9 ケヤキの盆栽
 web上に公開されている画像から引用

追記

 イギリスのストリートアーティスト、反資本主義、反グローバリズムで知られるバンクシーは環境破壊の警鐘として木を利用した壁画を描きました(写真10)。

写真10 環境破壊への警鐘としてバンクシーによって描かれた壁画 

<枝を切り払われた木の背後に緑の葉を描きました。>

 大ケヤキの写真1,2は樹木の生命力がバンクシーが案ずるほど弱くないことを示しています。

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Arts, 日々のこと, 春の花, 東京

都会の片隅に咲く草花45(24/5/2記)

 私が住んでいるマンションの管理人ご夫妻は園芸上手で、育てた四季折々の花をエントランスに置き私たちの目を楽しませてくれます。

 いま、置かれているのは種から育てた、クレマチスです(写真1)。息を飲む美しさです。昨年は一輪しか花をつけなかったとのことです。開花まぎわの花は白く、日がたつにつれ薄紫色になります。

写真1 クレマチス写真2 シンビジューム

 エントランスホールにはシンピジウムが置かれていました(写真2)。管理人さんは花がしぼむまで咲かせることはせず勢いのあるうちに切り取ってしまいます。株が来年の開花に備えるためです。花を切り落とした株は株分けして殖やしていました(写真3,4)。

 中庭にはウキツリボク(浮釣木)の鉢植えがあります(写真5(a))。愛称はチロリアン ランプです。赤いランプがぶら下がっているようにも見えるからでしょうか。

写真3 シンビジウム 生け花写真4 株分けされたシンビジウム
写真5(a) チロリアンランプ    開花した花が左下に見られます写真5(b)  開花寸前のチロリアンランプ

 熟すと中から黄色い傘をさした茶色い雄しべ(?)が飛び出します。なんのためにこのような奇妙な花を咲かせるのが不思議です。

 クレマチスの前は、エントランスにキンレンカが置かれていました。クレマチスに役目を譲った後は中庭で一休みです(写真6(a),(b))中庭は花の老人ホームのようで身につまされますが、華やかさを維持しているのが救いです。

写真6 (a) キンレンカ(橙色)写真6 (b) キンレンカ(黄色

追記

 喜寿のときに家族が贈ってくれたバラスクワイアーが米寿を迎えた今年も大輪の花をつけました(添付写真)。昨年は大胆に剪定しましたが、残された枝から新芽が伸びて見事な花をつけました。「米寿の爺さん頑張れよ」と励ましてくれているように思いました。

 204155日の未来空想新聞(朝日新聞X Panasonic)の見出しに「明日、庭の花のつぼみが咲きそうです。とありました。副題は「何げない日常がトップニュースになる平和な世界の到来でした。

 そうです、私が無事に米寿を迎えることができたのも平和だったからだとつくづく思います。

 前にも触れましたが、映画監督の高畑勲は岩波ブックレット No. 942 「君が戦争を欲しないならば」で『ナンセンスなことに対して「ナンセンス」と言うのです。』と語っています。戦争を防ぐには弱いように見えても高畑監督の警鐘に共鳴する人が一人でも増えることしかないと思います。

🌺 11年目を迎えたバラ、スクワイアー 🌺

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Arts, Science, 日々のこと, 東京

日々雑感42(24/3/26記)

 ビルの谷間から登る太陽は大都会の象徴です。写真1はわがベランダ(4階)から見る日の出です。大海原から登る太陽でもなく、山の端からでもなくコンクリートの陵線からです。一つ目の光景です。

写真1 ビルの谷間から登る太陽  朝日に映えている右側のビル群は東京工業大学、前景はマンションに面した小公園のケヤキです。

 二つ目はタワーマンションです。3.5 km 先にある41階建の「シティタワー武蔵小山(506邸)」がベランダから臨めます(写真2)。

 写真2 3.5 km先のタワーマンション
  (追記1)             
写真3 タワーマンション近景 
   太陽が反射されています。

 夕日を浴びると、タワーマンションの様相は一変します(写真4)。マンションの窓ガラスがこれほど強く光を反射するとは想像もしませんでした(追記2)。

 日が暮れると窓からは一斉に照明が漏れ、にぎやかになります。

写真4 夕日を浴びるタワーマンション(追記1
写真5 タワーマンション夜景  
 夜の11時というのに多くの窓から照明が漏れています。点状の赤い光は航空障害灯です。

 タワーマンションと言い、ビルの谷間からの日の出と言い、1970年以前にはあまり見られなかった光景です。このように変貌した地球環境は新たな地質年代「人新世」の到来ではないかとメディアで取り上げられました。

 実際、国際地質科学連合の小委員会で「人新世」について検討されましたが、採用には至りませんでした(朝日新聞朝刊 24/3/24)。興味深いのは投票の内訳です。反対12賛成4棄権3でした。投票権がもし私にあれば「賛成」に投じました。

追記 1

 大ケヤキ(世田谷保護樹木)は去年の秋に大胆に刈り込まれました(写真2,4)。4月中旬から秋にかけては緑で覆われ、晩秋には黄金色に染まる「大都会の泉」のような存在でした。しかし、大ケヤキは大井町線の線路に覆いかぶさるようになり、枝が折れれば大事故につながりかねません。刈り込みはやむを得ない処置でしたが、残された太い幹は骸骨のようになってしまいました。

追記 2

 昨年暮れ、私たちマンションの窓ガラスは断熱複層ガラス(アルゴンガス入り)に取り替えられました。2枚のガラスで反射された光の反射率は当然2倍になります。写真6は複層窓ガラスによって、その向かいにあるテレビ画像の反射像です。

写真6 断熱複層ガラスによる TV 画面の反射: 画面は24330日に放映された「服部金太郎」物語の一場面(テレビ朝日)。背景は窓から臨む夜景です。

 タワーマンションは大きな風圧を受けるため窓の開閉が自由ではありません。窓ガラスは複層で断熱仕様になっているものと推察されます。そのため太陽光は写真4のように強く反射されたと思われます。

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Arts, Science, 日々のこと

日々雑感41(24/2/22記)

シャコ

 写真はいかにも美味しそうな握り寿司です。ネタはシャコ。

 写真1 シャコの握り(「うまい鮨勘」 より引用)

 おすし屋さんで「シャコ ネタ」を見ることが最近なくなりました。

 シャコのなかでも小柴港横浜)で水揚げされた「小柴のシャコ」(写真2SUSHI TIMES より引用)は甘味の強さや品質の良さですし職人の間で高く評価されていました。ところが、そのシャコの水揚げ量は2005年に激減しました(図1)。

 
写真2 水揚げされたシャコ      図1 シャコ生産量の推移
1枚のトレイには10匹が詰められています。

 シャコの激減は海中の酸素量が少ない「貧酸素水塊」の形成によると言われています。環境の変化に対して生きものがいかに脆弱であるかを教えてくれます。

 偶然ですが、私は2002年から2005年にかけて横浜市立大学の学長を務めました。小柴港のわきを通って、車で横浜市庁舎に出向くことがしばしばありました。

 小柴港で水揚げされたシャコは新鮮なうちに漁港でゆで上げられます。エビやカニなどの甲殻類をゆでると香ばしい匂いが釜から辺りに広がります。シャコもその例外ではありません。

 小柴港のわきを通るたびにいい香りが車の窓から入ってきました。ところがです、2005年を境にその香りがばったりなくなりました。シャコの水揚げ量激減と関係していることは後で知り驚きました。漁師をはじめシャコの加工に携わっている人たちは仕事を失い戸惑うことになったと聞きました。

 2015年の国連サミットでは持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals、略してSDGs)が設定されました。達成すべき17の目標(ゴール)が掲げられました。目標は社会面、経済面、環境面など広い範囲にわたります。環境面では気候変動や環境保護が取り上げられていますが、その10年も前にシャコは危険信号を送っていたことになります。

 話は変わりますが、東急目黒線の車庫(シャコ)が奥沢にあります。目医者からの帰り、車庫に入っていた電車が目に留まりました(写真3)。鮮やかに彩られた車両、そのドアーの上にはLet’s get together SDGs TRAIN と横文字で書きこまれています。大企業が時代の流れに迎合しているかのようにも受けとれ、シャコに申し訳ない気持ちになりました。

写真3 車庫に停車している東急目黒線の車両。各ドアーの上にある書き込み(英文)に注意。

追記

 目黒線の SDGs 車両に出会ったのは望月眼科からの帰り道でした。私は緑内障予備軍なので定期的に検診を受けています。

 院内にはアノラ ・スペンスの版画が飾られています。私の気に入った2枚を掲げます。このようなユウモラスな絵を見ていると楽な気持ちで先生の診察を受けることができます。

 版画家スペンスについては先生によるまとめが紹介されています。
 医院の検査機器も充実していて、先生の気配りばかりでなく診断の確かさも自ずと伝わってきます。

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日々雑感40(24/1/20記)

 年末から年始にかけて読んだ二つの小冊子を紹介します。パリのおばあさんの物語(岸恵子訳、千倉書房)」ルビーの一歩(あすなろ書房)」です。前者は37頁、活字は大きく、挿絵が半分近くを占めています。後者は57頁、半分が写真です。いずれも意味深いメッセージを秘めた本です。

 「パリのおばあさんの物語」は東急のPR紙、Fino に紹介されていました。家内が買い求め居間のテーブルに置いていました(写真1)。手に取り、目を通すと釘付けになりました。エスプリのきいた文章に引き込まれました。フランスっぽい挿絵が花を添えます(写真2)。

写真1「パリのおばあさんの物語」の表紙
写真2  買い物に出かけたおばあさん

 冒頭部分を引用します。

 あの赤いマントを着ているおばあさんを見て。
 ちっちゃな買い物かごを持って
 市場で野菜を買っているでしょ。
 いっぺんにたくさんは買えないのよ。
 もう、力があまりないですもの。

 あのおばあさんの後ろを歩いてみたことある?
 痛い足をひきずって、やっと一歩、
 それから次の一歩を踏み出すのもたいへんなの。

 市場でお金を払うのだって大仕事なのよ。
 だって、コインを見分けるのに時間がかかって・・・。
 だからおばあさんは八百屋さんに
 恥ずかしそうに照れ笑いをしながら言うの。

 「まあ、今日のいんげん豆のながいこと。
 編み棒にしてソックスでも編もうかしら」

 結びの部分では大真面目に人生を振り返ります。

「おばあさん。もういちど、
若くなってみたいと思いませんか?」
おばあさんは、驚いて
ためらうことなく答えます。
「いいえ」
その答えはやさしいけれど、決然としていました。

「わたしにも、若いときがあったのよ。
わたしの分の若さはもうもらったの。
今は年をとるのがわたしの番」

彼女は人生の道のりの美しかったことや、
山積みの苦難も知りました。
彼女の旅は厳しかった。
彼女の旅は心優しくもあった。

「もういちど、同じ道をたどってどうするの?
だってわたしに用意された道は、
今通ってきたこの道ひとつなのよ

   あなたは どう思うかしら・・・?

 この本の帯には「フランスで子供から大人まで読み継がれている絵本」とあります。このおばあさんは90歳のユダヤ人。岸恵子の訳もさすが。

 もう一冊の「ルビーの一歩」は 朝日新聞「折々のことば(鷲田清一)」(2024・1・10)に紹介されていました(写真3)。表紙の写真は意味深です。壁には黒人に対する蔑称「NIGGER」や、投げつけられた赤いしぶきは血を思わせます。この壁画はノーマン・ロックウエルの作品「私たちすべての問題」の一部によります。ルビーはその壁に沿い、ひたすら前方に歩を進めています。

 米国では1954年、公立学校での人種分離が違憲とされました。白人だけの小学校(ニューオーリンズにあるウィリアム・フランツ小学校)に最初に入学した黒人の少女が写真のルビーです(1960)。人種分離を維持しようとする白人たちの抵抗はすさまじく(写真4)、学校の行き帰りは4人の連邦保安官が護衛にあたりました(写真5)。護衛の指示はケネディ大統領が出しました。

写真3 「ルビーの一歩」表紙
壁画はノーマン・ロックウエル
の作品「私たちすべての問題」
の一部を引用

  

写真4  ウィリアム・フランツ小学校                に集まり、抗議する人たち
写真5  ケネディ大統領が派遣した連邦保安官に
護衛されて登校するルビー

 小学校に入学して数か月後には新しい友だちができました(写真6)。ヴァエという女の子は、私たちはみんなふくろのなかのM&M(エム アンド エム)のチョコレートのようだと言いました。外側の色はちがっていても中身は同じなのです(参考)。

写真6  ウィリアム・フランツ小学校に入学してできたルビーの友だち

 ルビーは成長し、公民権運動家として各国の子供たちと出会い、差別主義者として生まれてきた人間などいないと確信しました。ルビーの強い思いは次の文章から読み取れます。

 『自由と勇者たちの国アメリカが、どれほど偉大になれるのかを思うとき、わたしは偉大であることについて語ったキング牧師のことばを思い浮かべます。

 「人はだれもが偉大になれます。なぜなら、人はだれもが、だれかのためにつくすことができるからです。」』

 そうです、子供たちを導き、教え、最高のお手本を示すのはわたしたちおとなです、とルビーは確信しました。

 写真76歳だったルビーと現在のルビーです。成長したルビーの凛とした表情は「人種差別のない社会」実現への確かな歩みを感じさせてくれます。

 この本の副題は「THIS IS YOUR TIME」です。「あなたたちの出番です」とアメリカの人たちに訴えています。

写真7 左は白人だけの小学校(ウィリアム・フランツ小学校)に最初に入学したときのルビ―。右は公民権運動家として活躍しているルビー。

参考 色とりどりの M&M チョコレート

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日々雑感39(23/12/26記)

 新年を迎えるにあったって、わがマンション(8階建て)の屋上から臨む東京の360度展望を紹介します。

 西方向に目を向けると眼前に屋根また屋根、その向こうに丹沢の山々、そのまた向こうに富士山が君臨しています。写真1は青空に映える富士、写真2は夕焼けを背景にした富士山です。清らかな姿に見とれてしまいます。

写真1 青空に映える富士山写真2 夕焼け空の富士山 

 富士山からやや東寄りに目を移すと武蔵小杉のタワーマンション群です(写真3及び4)。高さが100メートル近くもあるビルが10棟ほどあり、1棟当たり1,500人近くの人が住んでいます。

写真3 武蔵小杉のタワーマンション群   写真4 夕焼け空に映えるタワーマンション群

 東方向には東京工業大学大岡山キャンパスの建物群です(写真5,6,7)。

写真5 東京工業大学大岡山キャンパス。正面が西面、左側面が北面。

写真6 西日を浴びる大岡山キャンパス 羽田空港に向け着陸態勢の旅客機が見える。

写真7 環境エネルギーイノベーション棟南面(東工大HP)

 研究棟の壁面は約4,570枚の太陽電池で覆われています。太陽光を吸収するため壁面は黒っぽく見えます。総発電量は約650 kWで、棟内の消費電力をほぼまかなっています。二酸化炭素排出量は60%以上削減でき、世界でも類を見ない研究棟と言われています。

 東北方向には東京タワー8 km先)とスカイツリー17 km先)の両方を臨むことができます。写真8~11は両タワーの早朝、昼、夕方、真夜中の姿です。

 真夜中になると照明は消え、航空障害灯の赤あるいは白色の電灯が点滅します(写真11)。航空機の安全航行を確保するためです。

写真8 朝焼けと東京タワーとスカイツリー写真9  日中の両タワー    
写真10 夕焼け空と両タワー写真11 真夜中の両タワー

 わがマンションの屋上から眺める光景はいかがでしたでしょうか。朝、昼、夕、晩と定点観測できるのが自慢です。

 自由ヶ丘と言えばトットちゃんのトモエ学園です。駅前はもっか再開発中です。工事現場を取り囲んでいる塀にはトットちゃんのアニメが描かれています。おしゃれな街、「自由」を思い出させてくれる街です。

 新年が少しでも平和に近づく世界になることを祈り、今年最後のブログとします。

写真12  駅前の再開発現場を取り囲む塀とトットちゃん

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都会の片隅に咲く草花39(23/10/29記)

 少し前のことになりますが、鬱陶しい梅雨の時期に明るいオンジ色の大きな花が顔を出しました。鬼ユリです(写真1,2)。たまたまですがその隣に艶のある深緑の鬼ヤブソテツがありました(写真3,4)。鬼同士だなぁと妙に感心してしまいました。調べると両方とも特異な子孫維持戦略を持っていることが分かりました。植物の巧妙な生き残り戦術を垣間見た気持ちです。

鬼ユリ

写真1 鬼ユリ       写真2 鬼ユリのむかご
   葉の付け根にある球根状の芽

 鬼ユリは3倍体のため染色体を二分することができません。そのため、減数分裂が不可で、種子を作ることができません。いかにして子孫を残すのでしょうか。

 鬼ユリの茎をつぶさに見ると、葉の付け根近くに「むかご」と呼ばれる小さな球根のようなものがついています(写真2)。むかごはやがて地面に落ち、発芽します。むかごが種子に代わり子孫維持の役目を果たしています。進化とは言え、このような奇策を編み出す自然に驚かされます。ホモ・サピエンス ( ラテン語 で「賢い 人間 」)は顔負けです。

鬼ヤブソテツ vs シダ

 鬼ヤブソテツはシダ植物の仲間です(写真3)。低木のソテツとは無縁です。葉の形、葉のつきかたからシダの仲間であることが推察されます(写真5参照)。葉の裏には鬼ヤブソテツもシダも胞子がびっしりついています(写真4,6)。いずれも胞子はやがて落下し発芽します。写真3の周りをその目で探すとあちこちに鬼ヤブソテツを見つけることができました。子孫繁栄です。

写真3 鬼ヤブソテツ   写真4 鬼ヤブソテツの胞子
葉の裏についています
写真5 本家のシダ   
左上に鬼ヤブソテツがかろうじて見え
ます。
写真6 シダの胞子
胞子は葉の裏についています

 類は友を呼ぶのでしょうか、鬼ヤブソテツの隣りに本家のシダが見られました。

 シダ植物は4.5億万年前ごろに水際から陸上生活に適応した植物のひとつです。鬼ヤブソテツはそのような長い歴史を背負い繁茂している植物です。

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日々雑感36(23/9/24記)

「プラトンの哲人政治」 私たちの鏡として

 プラトン(紀元前427-347 年)は申すまでもなくアテナイで活躍したギリシャの哲学者です。この間に、アテナイを盟主とする民主制諸国とスパルタを盟主とする反民主制(寡頭制)諸国との間でペロポネソス戦争(紀元前 431-404年)があり、アテナイはスパルタに屈しました。

 敗戦を機にプラトンは統治者のあるべき姿について熟慮を重ね、大著「国家」1) を書き上げました。兄アディマントスとグラウコンを含む6人とソクラテスとの対話という形で記されています。この対話を通して理想国家の統治のあり方をプラトンは提示しました。哲人政治です。

 「国家」に先立ちプラトンは書簡2)で「哲人政治」について述べています。

『私は正しい意味での哲学を讃えて、こう言わざるをえなくなりました。――国家の正義も個人の正義もすべて、正しい意味での哲学からこそ見てとることができるのだ、と。だから、真実に哲学している人びとが国政の支配の座につくか、あるいは、現に諸国において政権を握っている人びとが神の配慮によって、ほんとうに哲学するようになるか、このどちらかが実現するまでは、人類が災いから免れることはないであろう、と。』

  プラトンはソクラテスの対話を通して、哲人政治を詳しく論じます。

『一般にどのような種類の支配的地位にある者でもいやしくも支配者であるかぎりは、けっして自分のための利益を考えることも命じることもなく、支配される側のもの、自分の仕事がはたらきかける対象であるものの利益になる事柄をこそ、考察し命令するのだ。そしてその言行のすべてにおいて、彼の目は、自分の仕事の対象である被支配者に向けられ、その対象にとって利益になること、適することのほうに、向けられているのだ』1)

 プラトンが哲人政治の考えに至ったのは彼のイデア論と深くかかわっています。それは政治権力と哲学的精神との一体化です。この二つがどちらかへ別々の方向へ向かう限り、国家にとっても人類にとっても災いであると断じました。

 二千数百年前の哲人政治をなぜ今取り上げるのか、私を駆り立てた動機を述べます。民主制国家、寡頭制国家とを問わず、現在支配的地位にある人たちの政治的行動が哲人政治とあまりにかけ離れているからです。

 トランプ前アメリカ大統領の目はラストベルト地帯の白人労働者を注視し、アメリカファーストという理念を振りかざして国民を扇動しました。プーチン大統領は大ロシアという観念にとりつかれ、ウクライナの領土に侵入し、その国民を窮地に追い込んでいます。中国の習近平国家主席は寡頭制を敷き、情報と言論を厳しく統制し国民を沈黙に追い込んでいます。これら3人に代表される政治的行動はプラトンの哲人政治とあまりにかけ離れています。こういう指導者を抱えたことはそれこそプラトンの言う人類の災いではないでしょうか。言葉が過ぎたかもしれませんが、凡庸な一市民の感じる素朴な疑問です。

  プラトンはさらに哲人政治家の教育について触れています。

『そして50歳になったならば、ここまで身を全うし抜いて、実地の仕事においても知識においても、すべてにわたって、あらゆる点で最も優秀であった者たちを、いよいよ最後の目標へと導いていかなければならない。それはつまり、これらの人々をして、魂の眼光を情報に向けさせて、すべてのものに光を与えているかのもの(イデアの比喩としての太陽、後記2を参照)を、直接しっかりと注視させるということだ。そして彼らがそのようにして<善>そのものを見てとったならばその善を範型(模範)3)として用いながら、各人が順番に国家と個々人と自分自身とを秩序付ける仕事のうちに、残りの生涯を過ごすように強制しなければならない。すなわち彼らは、大部分の期間は哲学することに過ごしながら、しかし順番が来たならば、各人が交換に国の政治の仕事に苦労をささげ、国家のために支配の任につかなければならないのだ。そうすることを何かすばらしい仕事とみなすのではなく、やむをえない強制的な仕事とみなしながら――。そしてこのようにしながら、つねにたえず他の人々を自分と同じような人間に教育し、自分にかわる国家の守護者を後にのこしたならば、彼らは<幸福の島>へと去ってそこに住まうことになる4)。』1)


 二千数百年前のアテナイと現在とでは同じ民主制と言っても大きな違いがあります。しかし、たとえ困難であっても政治家が<>を目指し行動することに異議を唱える人はいないのではないでしょうか。

脚注

  • 1)プラトン(藤沢令夫訳):国家(上、下)(ワイド岩波文庫、2002)
  • 2)プラトン著作集に含まれる第7書簡
  • 3)イデアと同義語か(小川記)
  • 4)死後の世界を暗に指す

ブログ後記

後記1

 柄にもなく哲学と政治の関係を取り上げました。今日の政治に危機感を覚えたからです。「哲人政治」からヒントが得られるのではないかと思い、「国家」を読むことにしました。幸い、近所の奥沢図書館に岩波文庫(ワイド版)「国家」(上、下)の在庫があることを知り、早速借りました。

 対話形式のこの本には哲学の堅苦しさがなく、私のような理系人間でも読み進めることができました。何しろ10巻からなる大著です、一気に読み通すことは無理です。私は関心のある所を先ずつまみ読みし、それをあちこち繰り返しているうちに全編を読み通すことができました。

 プラトンが取り上げた話題は広い範囲にわたり、正義とは何か、善とは何か、美とは何かをはじめ、哲人統治者とその教育、魂、神などなどに及んでいます。

後記2 イデア

 プラトンは三つの比喩を用いてイデアを説明しています。太陽、線分、洞窟です。ここでは太陽を取り上げます。尚、線分については文庫(下) p 96、洞窟については同 p104 に説明があります。

 以下はプラトンがソクラテスに語らせているイデアの説明です。多少理屈っぽいですが引用します1)

『ぼくの思うには、太陽は、見られる事物(目が見ている対象物、小川注)に対して、ただそのみられというはたらきを与えるだけでなく、さらに、それらを生成させ、養い育むものでもあると、君は言うだろう――ただし、それ自分がそのまま生成ではないけれども』

『それなら同様にして、認識の対象となるもろもろのものにとっても、ただその認識されるということが、<善>によって確保されるだけでなく、さらに、あるということ・その実在性もまた、<善>によってこそ、それらのものにそなわるようになるのだと言われなければならない――ただし、<善>は実在とそのまま同じではなく、位においても力においても、その実在のさらにかなたに超越してあるのだが』

 このようにイデアは超越した存在ですが、見られる事物を生成、養い育む存在でもあります。プラトンの「国家」は言ってみれば、そのイデアを求め、国家という大規模システムを多面的に描いたものではないでしょうか。

後記3

 二千数百年前の著書がどうしてこれほどまでに完全な形で読めるのか不思議に思いました。そのヒントが「藤沢令夫著 プラトンの哲学(岩波新書1998、p4)」にありました。

 プラトンは水草から作った紙(パピュロス)の巻物に書き記しました。それは5世紀のころから皮紙をとじた冊子本(コーデクス)に移し替えられました。このとき古代の多くの書物が排除されましたが、「国家」はその難を免れました。15、6世紀に入ると活字印刷本として普及することになります。

  数奇な経緯をたどった「国家」です。時を越え、距離を越え、言葉の壁を越え、日本で読める幸せをつくづく感じました。

 私はこの本をどうしても手元に置きたくなり、文庫を買い求めました。汲めども尽きぬ泉のような本です。

後記4

 プラトンは自らの戦争観をソクラテスに語らせています。

 人は一人では生きていくことができません。相互扶助のために一つの土地に集まって生きていかなければなりません。その土地が国家です。

 国家の使命は衣食住を満たすことです。それを効率よく達成する手段が分業です。得意分野は人それぞれで異なります。仲間や助力者として多くの人を集めなければなりません。国家の規模は大きくなり、より広大な土地が必要となります。その結果、近隣の国々と軋轢が生じ、ついに戦争となります。

 そこで国家の統率者には敵に勇猛、味方に温和という二つの異なる特性が求められています。「敵にたいして勇猛」はイデアの<善>と相容れないように思います。プラトン先生、いかがでしょうか?

後記5

 民主制は最も美しい国制であるとプラトンは述べています1)

『ではまず第一に、この人々は自由であり、またこの国家には自由が支配していて、何でも話せる言論の自由が行きわたっているとともに、そこには何でも思いどおりのことを行うことが放任されているのではないかね?』

とソクラテスに語らせています。

 そして『この国政のもとでは、他のどの国よりも最も多種多様な人間たちが生まれてくるだろう』と。習近平国家主席、いかがでしょうか?

セントポーリア 妖精の泉
「国家」 知の泉

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都会の片隅に咲く草花37(23/8/14記)

 カンカン照りの夏は花に恵まれません。そんな中にあってひときわ目立つのが百日紅(俗名サルスベリ)です(写真1)。

 写真1 百日紅(俗称:サルスベリ)  写真2 つぼみが次から次へと開花する百日紅

 花びらは房状に密集し、遠くから見ても目立ちます。次から次へとつぼみが開花しますので、長期にわたり咲き続けているかのように見えます(写真2)。百日紅と呼ばれる所以です。

 通常の樹木は幹の周りがコルク質で覆われていますが、百日紅にはありません。幹はつるつるです(写真1)。別名サルスベリと呼ばれるのはそのためです。ツタなどが巻き付かないためだそうです。

 花の構造を見るため、花びらを一つ失敬して、水に浮かべたのが写真3です。6片の萼(がく)から花弁が6本出ています。黄色い雄しべが多数見られますが虫を呼び寄せるための偽雄しべです。受精能力はありませんが、ぶどう糖は多めに含まれているとのことです。

 露草もそうでしたが、百日紅の偽雄しべも鮮やかな黄色をしています。地面に到達する太陽光のスペクトルのうち、最も強いのが黄色であることと関係していると思います(日々雑感18 図1)。

 ぶどう糖と言い、黄色と言い、植物の抜け目のなさには感心するばかりです。

 写真3をよく見ると、地味ですがひょろひょろと伸びている本物の雄しべ(葯、やく)が6本あります。葯は花粉をつくる袋で、中に受精能力のある花粉が入っています。

 偽雄しべ群の左寄りに萼から飛び出しているのが雌しべです(緑色)。

 写真3 百日紅の花(詳しい構造については本文参照)

 百日紅の花は長期にわたって順次開花します。受粉に成功した雌しべは早々と実を付けます(写真4)。受粉のできなかった雌しべはやがて落下してしまいます。

 秋も深まり葉が枯れるころになると実ははじけ中から種が飛び出します。種には、モミジのように羽がついていて風任せの放浪をします。たまたま環境の恵まれたところに着地すれば発芽することになりますが、小公園にある3本の百日紅の根元にはいくら探しても発芽の痕跡は見当たりません。それもそのはず、ばらまかれた種の多くが発芽、成長すれば百日紅の木々は共倒れになってしまいます。

写真4 右側は受粉した雌しべが結んだ実。左側は受粉しなかった雌しべ
(実が無い)          
写真5 成熟した実(黒い球)と飛び出した種(上図)。下図はその拡大写真(脚注1)    

片山速夫氏のブログ:オリーブ吹田(サルスベリの花→実→種→発芽→花の一年間と二種類のオシべ)による。

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都会の片隅に咲く草花36(23/7/19記)

 早朝目が覚め、外に出ると露草はすでに開花し歓迎してくれます(写真1)。夜空に青い星が輝いているかのようにも見えます。

 写真1 朝日に輝く露草

 今回は露草の生態観察記です。露草は悪環境にもめげず、あの手この手を駆使して生き残ろうとするしたたかな野草です。

目次
 花の構造
 露草の雄花
 花のしぼみ方
 露草と水滴
 追記 山下清の描く露草
 

花の構造

 接写レンズで花をのぞき込んだ拡大写真が写真2です。鮮やかな色彩とデリケートな構造は繊細なガラス細工を思わせる美しさです。下方に長く伸びているのが雌しべ、それを両側から挟むかのように伸びているのが雄しべです。その先端のふくらみは花粉の入っている袋で、葯(やく)と呼ばれています。破れかけた葯から花粉が飛び出そうとしています。

 花弁は三枚仕立てで、ミッキーマウスの耳の形をした青色の花弁が2枚、半透明の小型の花弁1枚とからなっています。花弁の真ん中に鮮やかな黄色い雄しべ(葯)が4つ位置しています。内訳は花弁近くにあるX字型の葯が3本、雌しべの方にやや飛び出ているY字型の葯が1本です。

 X字型の葯は偽物で、中にある花粉は受粉能力がありません。Y字型の葯には受粉能力のある花粉が入っています。X字型の葯の役割は目立つことにより、虫(アブや小型の蜂)を呼び寄せる役目をしています(写真3)。

 露草は他の株からの花粉がなくても、自らの花粉で受精し、結実します(両性花)。自家受粉は極端な近親結婚で、変異の幅をせばめます。生育環境が変化すれば全滅する危険をともなう反面、確実に結実して子孫を残すことができます。

 
写真2
 露草の花の構造(詳しくは本文)
写真3 花粉を食べに来た小型の蜂(?)

露草の雄花

 露草の花は大部分が両性花ですが、私が観察した株では1割程度が雄花でした(写真4)。雌しべは退化してありませんが、Y字型の雄しべ(葯)は健在です。花粉を食べに来た昆虫に花粉を他株に運ばせるためです。そこで結実すれば変異の幅は広がり、近親結婚の弊害を避けることができます。露草の用意周到さには舌を巻くばかりです。

写真4 露草の雄花 雌しべは退化してありません。花弁から突き出ている雄しべ(葯)が2本、それにY字型葯と偽のX字型葯も健在です。写真5 お昼前の露草。花弁はY字型の雌しべと雄しべを包むようにしてしぼみます。

花のしぼみ方

 露草は早朝に開花し、11時ごろにはしぼんでしまう一日花です。英語では day flower と呼ばれています。巧みなのは花弁のしぼみ方です(写真5)。ミッキーマウスの耳のように広がっていた花弁は雌しべ、雄しべを包むようにしてしぼみ、受粉を促します(同花受粉)。花弁が果たす最後の大仕事です。

露草と水滴

 晴天の早朝、露草を観察すると葉に水滴のみられることがあります(写真6)。ところがわが露草の隣りにあるオシロイバナやオリズルランの葉には水滴は観察されません。露草の水滴はどこからやって来るのでしょうか。

 空気中の水分が過飽和になり、露となって凝縮する現象(結露)は都会ではもう見られなくなりました。クーラーなどによる放出熱量が放射冷却を上回るためです。では水滴の水は一体どこからやって来るのでしょうか。ここで、多田多恵子先生の登場を願います(「したたかな植物たち(春夏編)」ちくま文庫(2019))。

写真6 露草と水滴

 一般に植物の葉は、昼の間は根から吸い上げた水を葉の裏側にある気孔から蒸発(蒸散)させて、水分を葉の隅々まで届けています。夜になると気孔は閉じるため、根から吸い上げた水は葉の内部にたまります。この余分の水分が葉脈の末端にある水孔から葉の表面に吐き出され、水滴となります。

追 記

 最後に山下清によるフェルトペン画、つゆ草を掲げます(写真7)。
放浪の旅をつづけた山下清は「裸の大将」と呼ばれ、すぐれた貼絵を数多く残しました。
 なお、山下清のつゆ草はイラストレーター、益田リミのコラムで知りました(朝日新聞、23/7/15)。

  写真7 フェルトペン画 つゆ草 (山下清)

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日々雑感34(23/7/19記)

 今回のブログは「言葉からイメージへ、イメージから言葉へ」と銘打った、赤瀬川原平「四角形の歴史」(ちくま文庫、2022)に出会う話です。その前に、著者のユニークな経歴に触れておきます。中退ですが武蔵野美術学校で学んでいます。一方、「父が消えた」で芥川賞を受賞しています。画家と作家の2刀流で、その利点が本書では遺憾なく発揮されています。

 2刀流が本領を発揮できるのは絵本です。絵が大きなスペースを占め、文章はちょこちょこです(例えば図1参照)。

出会いのきっかけ

 この本の紹介が朝日新聞のコラム、折々のことば(鷲田清一)にあったと思い込むことから始まります。「四角い枠を通してものを見るとはどういうことか」について書かれている、という私の思い込みです。早速購入することにしました。

 冒頭から読者に奇問が投げかけられ、中身(鉛筆画と文章)にぐいぐいと引き込まれます。犬は自分の食べ物、例えばソーセージを意識して見ているのか、背景にある景色までも意識して見ているのだろうか、という奇問です(図1,2)。風景が犬の目には入っても犬の意識には届いていないと著者は推論します。必要な物以外は目玉を通過しても頭には残らない。それをひょうきんなイラストで表現して見せます(図3)。

 物も風景も目玉を通過します。物なり風景が頭に入って脳MISOがつかんで始めて「見る」ことになります。見るということは意識する力があってのことです。

 犬はソーセージを意識して見ていますが、風景の方はぼやけてぐちゃぐちゃになっているはずです(図4)。

図1 ソーセージ(物)を見る犬図2 ソーセージの背後にある風景
  図3 目玉は頭の入り口なので物や風景も通過します。見るということは目玉を通ったものを頭がつかむことです。
図4 犬の見る風景。意識して見ていない風景はぐちゃぐちゃとぼやけています。 図5 人間は意識して風景を見て描きます。風景の輪郭がはっきりしています。

 人間が風景画を描くようになったのは比較的新しく印象派のころからです。モネ、ピサロ、ゴッホたちは風景を意識して描きました。それまでは描かれていたのは人や物ばかりで風景画はありませんでした(図6)。

 思い込みがきっかけとなって自らは決して選ぶことのない本に出会いました。なぜ思い込んでしまったのか調べてみたくなりました。

図6 印象派登場以前は輪郭のはっきりしたものばかりが
        描かれていました。

 朝日新聞の読者窓口に問い合わせたところ、赤瀬川さんの言葉はここ1か月の「折々のことば」にはとりあげられていないとのことでした。私の思い込みを探る手掛かりは、ばったりと途切れてしまいました。

 人工知能に頼れば、思い込み以前の正しい情報源にたどり着けるかもと思いましたが、 No です。思い込みの類は限りがなく、数え上げたらきりがありません。ビッグデータと言えどもすべてを取り込むことは不可です。人は思い込みをすればこそ意識の範囲が広がるともいえます。

 赤瀬川原平の著書「四角形の歴史」に出会えたため、意識することのあるなしが見えるか見えないかの境であることを知りました。

 科学者が新現象を発見できるか否かも、意識の有無に支配されていることになります。意識がなければ、たとえ新現象に出会っても脳MISOには届きません(図3)。

 最近の脳科学の研究によれば、脳内の信号伝達は不確かで、確率的であることが分かってきました。そのため、脳が間違いをする可能性は避けられません(櫻井芳夫:間違える脳(岩波新書、2023))。間違えるからこそ新奇なアイディアが脳から生まれます。根拠のあいまいな私の思い込みもその一環かも知れません。

謝辞

 このブログは赤瀬川原平著「四角形の歴史」の引用が中心となりました。赤瀬川流の絵やイラスト、独特の文章。それらの肩ひじ張らない雰囲気を損なわないように努めました。その結果、上記著書からの引用が自ずと多くなりました。

 私のブログの 閲覧者は家族や知人が中心で、私信に近いものです。引用させていただいた著作権者、出版社のご理解をお願いいたします。

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都会の片隅に咲く草花35(23/6/26記)

 多田多恵子の近著「ワンダーランド道草」(NHK出版2023)を中心に取り上げます。身近な植物たちの巧みな生き残り戦術を分かりやすく、簡潔にまとめている入門書です。彼女は植物生態学の専門家ですが、在野の研究者のためでしょうか、専門臭のないユーモアのある文章は読む者を飽きさせません。

 冒頭の第1章では「新芽の赤」が取り上げられています。生垣によく見られるカナメモチ(俗称 赤芽)は新芽が赤い常緑樹です。写真1はわがマンションと隣との境に植えられているカナメモチです。

写真1 生垣として植えられているカナメモチ 透きとおるような赤い新芽が美しい(頭の部)。

 葉は太陽の光エネルギーを使って葉緑体で澱粉などを光合成しています。しかし新芽が太陽光の紫外線を受けると葉緑体の遺伝子が壊され、正常な光合成は不可能になります。そこで新芽は赤いサングラスをかけて紫外線をよけています。新芽が赤い色素のアントシアニンで赤く染められているのはそのためです。アントシアニンが紫外線を吸収します。

 注意すると、赤い新芽は多くの植物で見られます。わが家のベランダの主、朝鮮定家葛(つる性の多年草)も新芽は赤いサングラスをかけています(写真2)。写真3は葉の拡大写真です。新芽は成熟するにつれて赤い色素を失い緑色に変わっていきます。この本に出合う以前は新芽の赤色が紫外線よけだとは思いませんでした。

写真2 朝鮮定家葛 
ツル性のため網戸に沿って赤い
新芽が這い上がっています。
写真3 葉の拡大写真

 カナメモチの場合はどうでしょうか。朝鮮定家葛の場合と同様の過程をたどって、カナメモチの新芽も赤から緑に変化していきます(写真4)。

写真4 カナメモチの葉が赤色から緑化していく過程

 都会の片隅で咲く草花 33 で取り上げたドウダンツツジの花芽も赤いサングラスをかけていました。晩秋、真っ赤に染まった葉が落ちると花芽(カガ)と葉芽(ヨウガ)は一緒に赤い苞葉(ホウヨウ)で包まれます(写真5)。多田流で言えば、赤い苞葉は紫外線を避けるためのサングラスです。春が来ると中から鈴のような白い花と若い葉が飛び出します(写真6)。中央にある開花寸前の花は緑色を帯びています。花柄のもとには若い葉がついています。

 都会の片隅で咲く草花 33「2.ドウダンツツジのライフサイクル」を記した時点では赤い苞葉がサングラスだとは気が付きませんでした。すぐれた入門書に出会って初めて赤い苞葉のなぞが解けました。

 写真5 赤い苞葉で包まれたドウダンツツジの花芽と葉芽 写真6 苞葉から顔を出した花と若葉 開花前のつぼみ(写真の中央部分)は薄い緑色をしています。

 この本は第1章 春の道草に続いて、第2章 夏の道草、第3章 秋の道草、第4章 冬の道草、植物学の基礎を解説した道草ガイド(付録)で構成されています。

 付録は、花の役割とつくり、葉の役割とつくり、植物の調べ方(知らない植物に出会ったら?)、植物の名前および学名、とから成り立っています。用語解説、道草を楽しむための持ち物もイラスト付きで紹介されています(写真7)。本書は実用書としても価値があります。

写真7 「道草ワンダーランド」を楽しむための持ちもの

 私たちは四季折々の果物を味合うことのできる恵まれた国に住んでいます。果物と言えば実(ミ)を食べているのだと漠然と考えていますが、いったい実のどの部分を食べているのでしょうか。

第3章「秋の道草 その2 果物のつくり」では、柿、さくらんぼ、リンゴ、いちご等々が取り上げられています。

 予備知識として、花のつくり(写真8)を先ず述べ、それから果物の話に移ります。花のつくりは「ワンダーランド道草」(p 82-83)からの引用です。専門用語をオブラートに包んだ解説は多田流文章の真骨頂です。

 『花は、雄しべ、雌しべ、花弁、萼(ガク)から構成されています。雌しべの基部にあるふくらみが「子房」で、胚珠を包んで守っています。雌しべの柱頭に花粉がついて受精が行われると、子房は「実」に、「胚珠」は「種子」に育ちます。

 一般に動物は雄と雌が別々ですが、植物は雌雄同体が大多数です。自力で動けない植物は、キューピッドが来ない場合の保険として雌雄の器官を同じ株に配置するようになったということでしょう。

 でも、なぜ植物はわざわざ花を咲かせるのでしょう。数を増やすだけなら、雄だの雌だのと面倒なステップを踏まずに、球根とか地下茎で増やしたほうがよほど早くて楽なのに。

 球根とか地下茎で増えた株はすべて親と遺伝的に同一のクローンです。みな同じ性質なので、環境の急変や病気の流行によって全滅の可能性があります。

 一方、花を咲かせて他の株の花粉を受け取ってつくられた種子には、さまざまな遺伝子の組み合わせがあります。だからこそ長い歴史の中で生き残ることができました。いざとなったら自分の花粉で受粉するという抜け道を残しながらも、だから植物は花を咲かせるのです。』

 このような調子で説明されると堅苦しい話もツルッと飲み込んでしまいます。

写真8 花のつくり 果物の実(ミ)は子房が育ったものです。
種(タネ)に育つ部分は胚珠(ハイシュ)です。
リンゴは例外で、雌しべを支えている花の土台部分(花托)
が膨らんだものですが、ここでは触れません。

 図の横長の囲みの部分は読み取りにくいので、取り出してかなを振りました。左側の上から順に列挙します。柱頭(ちゅうとう)、花柱(かちゅう)、子房(しぼう)、胚珠(はいしゅ)、右側に移って上から順に葯(やく)、花糸(かし)、花弁(かべん)、萼片(がくへん)、萼筒(がくとう)です。専門用語のジャングルです。

 果実の話に移ります。私たちは果実のどの部分を食べているのでしょうか。答えは意外にも「果皮」です。果実の皮が膨らんだ部分です。柿を例に説明します(写真9)。

 口の中で柿の種を縦にして強く噛むと二つに割れ、中から葉と葉柄のミ二チュアが現れます。子供のころ経験された方が多いと思います(写真9 左下)。種にはこんな秘密が隠されていたのだと、神妙な気持ちになったのを思い出す人も多いと思います。

 写真9の右側は雌花、左側は実(み)の断面写真です。種(たね)はこげ茶色の硬い皮(種皮)で覆われています。種は3層からなる果皮(内果皮、中果皮、外果皮)で包まれています。中果皮は柔らかな果肉となり、それを鳥や哺乳類が食べ、種を運ばせているのです。こうした実(み)の中で人が食べても美味しいのが果物です。

 果物は動物に種を運ばせる手段だったのです。私たちはそれをちゃっかり頂戴しているというわけです。

 種の周りはゼリー質で包まれています。内果皮です。柿を食べた動物が種を噛み砕く前に喉の奥に滑り込ませるためです。あんぽ柿を食べると種の周りにこのゼリー質がついているのに気づいた方は多いと思います。

写真9 柿の雌花と実 種を包んでいるこげ茶色の硬い皮は種皮。種を包んでいるのが果皮で、内果皮、中果皮、外果皮の三層からなっています。右側にあるのが雌花です。

謝辞

  今回のブログは多田多恵子の近著「ワンダーランド道草」に負うところが大きく、著者に感謝します。写真7-9は本書からの引用です。

余録 その1

素敵な名前の美しい花 3題

 写真10は玉川高島屋の屋上で撮りました。長さが10センチほどもある大型の花です。鳥の頭のような形をしています。南アフリカを中心に分布し、葉が美しく観葉植物として栽培されているようです。どうしてこのような奇妙な形の花を付けるのか不思議です。受粉のため鳥を呼び寄せるためとは考えられません。

 写真11は私たちが住むマンションの管理人室の前に飾られている鷺草です。白い鷺が羽を広げて飛んでいるかのようです。花から長さ3―4センチの緑色の垂れ下がりは、先端が次第に太くなっています。これは距(キョ)と呼ばれ、末端には蜜がたまっています。この鷺草は花好きである管理人の奥さんが球根から1年かけて育てたとお聞きしました。

写真10 Bird of paradise(楽園の鳥)     写真11 鷺 草    

 写真12,13は小型のセントポーリア、フェアリーファウンテン(fairy fountain、妖精の泉)です。1年ほど前、葉挿ししておいたのが育ちました。みるみるうちに葉柄が伸び、その先に小さな白いつぼみがつきました(写真12)。つぼみは泉から飛び散る水滴のように見えます。

fairy fountain(妖精の泉)とはうまく名付けたものです。紫がかった薄いピンク色の八重の花は妖精の衣でしょうか(写真13)。

写真12  開花寸前のFairy fountain写真13 開花したFairy fountain

余録 その2

赤と白の2段のサングラスをかけた朝鮮定家葛

(ページ上部の)写真2,3はわがベランダの朝鮮定家葛ですが、近所の家の玄関への通り道に見事な朝鮮定家葛が植えこまれています(写真14、拡大写真は15)。

 先端の葉芽は赤色ですが、その下の白い若葉を経て、緑色の葉に変わっていきます。あたかも女子学生が夏服に衣替えしているかのようです。白はすべての色の光を反射しますので、赤いサングラスほどではなくても紫外線の強度を緩和しているのでしょうか。

 写真15を眺めると、まず点状の葉緑素が白い葉に生じ、それが徐々に成長していきます。なんとも不思議です。

写真14 赤白緑で彩られた朝鮮定家葛 写真15 左の拡大写真

余録 その3

夏はやっぱりポーチュラカ

 今年買い求めたポーチュラカは大当たりです。直径が3.5センチメートルほどもある色とりどりの大型の花を付けます。夏の終わりまで咲き続けます。

 朝、カーテンを開くと所せましと咲き誇ったポーチュラカが目に飛び込んできます。「お爺さん、元気を少しお分けしましょうか」と声をかけられているような気分になります。

 1日花ですから、一日ごとに花は総入れ替えです。子孫繁栄のためとは言え、消耗するエネルギーは相当なものです。もう少し倹約してもよさそうに思いますが。

写真16 ベランダのハンギングに植えたポーチュラカ
        100万ドルのポーチュラカと勝手に名付けています。