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日々雑感9(20/12/5 記)

満月に誘われサイエンス少々とアート少々

1.丸い月と丸い地球のサイエンス

 11月30日は満月。雲の合間にまん丸いお月さまを見ることができました(写真)。中秋の名月から数えてふた月遅れの満月です。月が暈(かさ)をかぶっているのは写真に写っている雲のはるか高層(高度1万メートル)にベール状の薄い雲(巻層雲)が覆っているからです。巻層雲は氷晶(微細な氷の結晶、断面は6角形)の集まりで、氷晶がプリズムの働きをし、月光を屈折させるため暈(ハローともいいます)をかぶります。

 次の写真は丸い太陽が朝焼けを背景に昇るところです(11月18日)。いずれも我がマンションのベランダ(4階)から撮りました。

 地球の丸さがベランダから分かればいいのですが、それは無理。アポロ17号から撮った写真を掲げます。見事にまん丸です。

      満月         朝焼けと太陽      

Apollo17 から撮った地球<上半分にアフリカ大陸が見える> はやぶさ2から撮った小惑星リュウグウ (直径約900 m)

 月も、太陽も、そして地球もほぼ完全な球形です。どうしてそこまで丸いのか考えてみたくなります。リンゴの落ちるのを見て、ニュートンは万有引力に気付きました。その万有引力が球形になる原因ですが、にわかには球形と結びつきません。

 地球などの惑星が形成される以前にさかのぼります。誕生して間もない太陽(46億年前)の周りには、無数の岩石片や鉄、氷塊、ガス(まとめてダスト(ほこり)と呼ばれています)が円盤状に広がり回転していました(原始惑星系円盤)。ダストは離合集散を繰り返すうちに多数の微惑星が形成されます。微惑星は衝突を繰り返し、そのうち大きくなったものが原始惑星です。原始惑星の中心部分は溶けた鉄でできていて、その外側は岩石の集まったマントルで覆われています。残念ながら原始惑星系円盤から原始惑星が形成される詳しいメカニズムは分っていません。

 原始惑星まで大きくなれなかった天体が小惑星です。はやぶさ2が目指したリュウグウは小惑星の一つです。リュウグウはすき間の多い岩石の塊であることが分かりました。大きさは900mもありますが、重力が不十分なため形は球ではなく、いびつです。

 原始惑星どうしが衝突したり、残っている薇惑星がぶつかったり、まわりにあるガスや岩石片、氷塊を万有引力が引き付けて原始惑星は成長し、惑星(地球)になります。図1、2を使って、原始惑星が球形に成長する過程を説明します。便宜上、成長の素材は岩石片のみとします。原始惑星はこれ以降、小地球と呼ぶことにします。  

 図1の岩石片A(ねずみ色に塗りつぶしたちいさな円)は小地球(青色に塗りつぶした大きな円)から万有引力を受け、地球の中心Oに向かって引き寄せられます。岩石片Bも同様に中心に向かって万有引力を受けます。

図1 水色の球は小地球。ねずみ色の岩石片Aは小地球の中心 O に向かって落下し、表面に達します。小地球が丸いことを考えると岩石片 B も同様に地球の中心に向かって落下します。


図2 小地球の周りを運動している無数の岩石片(ねずみ色に塗りつぶした円)は引力により小地球に引き寄せられます。簡単にするため、岩石片は同じ大きさの円として描かれています。


 小地球の周りにある無数の岩石片(ねずみ色円)は四方八方から小地球に引き寄せられます。長い目で見ると、岩石片はならされ小地球は一回り大きくなります(図2の点線)。この過程を繰りして小地球は成長していきます。やがて周りの岩石片を使いつくし、成長は止まります。現在の地球誕生です。

 地球にある大量の水はダストの氷塊が解けたものです。私たちは日々、宇宙の「ほこり」を飲んでいることになります。

 重力による丸さの形成過程は月や太陽にも当てはまります。言ってみればお月さまが丸いのは万有引力の所為なのです。月の場合、素材は原始惑星どうしが衝突したときに小地球から弾き飛ばされた岩石片です。

2.月に因んだアートを少々

Cherry Terrace 2020 Notebook の表紙  
左は満月と鼠の影、右下は地上にいる鼠のシルエット。

 キッチン用品のお店、チェリーテラス代官山で買い物をするとCHERRY TERRACE 2020 NOTEBOOK と銘打ったおしゃれなメモ帳(非買品)が送られてきます。その表紙にはGuido Scarabottolo(イタリアのイラストレイター)がその年の干支を描いています(上の写真)。

 今年の干支は鼠。鼠は私の干支でもあります(84歳)。満月に映る鼠は月の丸さに頭をひねる自分の姿のようでもあり、ほほが緩みます。

 イラストレイターの想像力は地上にいる鼠の影を、あり得ないことですが黄色いお月さまに映しだします。同じ想像力でも万有引力から丸いお月さまの形を論じる科学者とは雲泥の違いです。

 文系と理系の間に深い谷間のあることはC. P. スノーが指摘して久しくなります(1959年の講演をもとに執筆された「二つの文化と科学革命」(みすず書房))。同じ丸いお月さま。それを万有引力の所為とみるか、それとも自由に想像力を羽ばたかせる対象とみるか、両者は別世界のことのように見えます。

 スノーは科学革命により二つの文化の谷間は埋まるものと楽観的でしたが、果たしてそうでしょうか。その後の科学技術の著しい発展は恩恵だけではなく、環境問題や資源枯渇、所得格差、核兵器、パンデミックなど負の側面をもたらしました。

 二つの文化には谷間のある方がむしろ好ましい気がします。科学者ニュートンの想像力とイラストレイター Scarabottoloの想像力は、谷間で隔てられていたからこそ豊かさをもたらしてくれたように思います。

 しかし、負の側面を解決するには両文化の知恵を絞らなければなりません。うかうかしていると人類は滅亡するかもしれません。

 皆さんはいかがお考えでしょうか。

追記:C.P.スノーの本は「大昔」に畏友小岩昌宏さんからすすめられて読みました。ブログで取り上げた宇野先生の本について「宇野重規:未来をはじめるを読みました。とてもよい本ですね。孫 高校2年生 に読むように勧めました。」と彼からRe をもらいました。本との出会いは不思議な縁で結ばれています。

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秋冬の花, 首都圏の花, Science, 少年時代, 東京, 樹木

都会の片隅に咲く草花11(大手町から消えたタンポポ)

(20/12/10 記)

1.生物季節観測

 気象庁は季節の移り変わりを示す「生物季節観測」を年内で動物すべてと植物の大半を中止します(読売新聞、20/11/17)。新聞の見出しにはウグイス、ツバメ、タンポポ・・・とあります。確かにここ数年、目の前の小公園でもウグイスの鳴き声は聞かなくなりました。ツバメも来なくなりました。秋には群をなして飛んでくるアキアカネ(赤とんぼ)も今年は見ることができませんでした。

 全国の気象台や測候所58か所では、職員が「開花日」、生物を始めてみた「初見日(しょけんび)」、鳴き声を初めて聞いた「初鳴日(しょめいび」などを記録してきましたが、動物の初鳴きや初見日と季節の変化とが対応しなくなり、植物は標本木の確保が難しくなっているという。これは環境破壊の影響が私たち自身にも迫ってきていることの前兆かもしれません。恐ろしいことです。

 ブログでも取り上げた見出しのタンポポが気になります。気象庁がある大手町でタンポポの開花日が記録されているのは2016年4月6日が最後です。その後は記録がありません。大手町の辺りは高層ビルが立ち並び、道路は完璧に舗装されています。風に乗ってやってくる綿毛を付けたタンポポの種はちょっとした隙間の土も大手町に見いだせなかったのでしょうか。コンクリートの砂漠と化してしまったのでしょうか。

 参考までに私が少年時代を過ごした彦根の地方気象台では2020年までタンポポの開花日が記録されています。安堵します。

2.Dandelion(ライオンの歯)

 大手町のことが気になり、タンポポのロゼットがないかと自由が丘の遊歩道を歩くと、舗装された道と縁石とのすき間に緑色の葉を元気よく広げていました(写真)。弱くなった日差しを受け止め、春に備え光合成に励んでいるのです。(ロゼットは「都会の片隅で咲く草花8」でも取り上げました。)

 高校生のとき英語の先生からタンポポは dandelion というと習いました。dande はdentist(歯科医)と同じ語源、lionは申すまでもなくライオンです。葉の形がライオンの歯並びに似ているからだと先生の説明を聞き、ああそうなのかと妙に感心した高校時代を思い出します。

 それに対して日本語のタンポポはどこか「のどか」な響きがあります。タンポポの語源にはいくつかの説がありますが、私の好きなのは、花の形を鼓にたとえ、それを叩くとタン、ポン、ポンと音を出すからだという説です。タン、ポン、ポンがなまってタンポポ。噛みつかれそうな「ライオンの歯」とは大違いです。

西洋タンポポのロゼット 

葉には大きな切れ込みがあります。アスファルトと遊歩道の縁石との間にあるわずかな隙間にロゼットは根付いていました。葉を地べたに広げ日差しを効率よく受け止めています。

3.タンポポの生物学

 タンポポには在来種と外来種(西洋タンポポ)があります。西洋タンポポは花を支える総苞片(そうほうへん)が下方に反り返るのに対して、在来種(カントウタンポポ)は反り返らないので両者は区別ができます。遊歩道の春に咲くタンポポの総苞はどれも両者の混じった雑種の形態でした。西洋タンポポと雑種の花期は長く、春から夏、秋には小ぶりの花を付けます。花期が春に限られ、夏には葉を枯らしてしまうカントウタンポポは遊歩道ではみられません。

在来種(カントウタンポポ)、セイヨウタンポポ、雑種の総苞(多田多恵子)

  西洋タンポポは、明治時代に乳牛の牧草としてヨーロッパから北海道に移植され、全国に広がりました。在来種が西洋タンポポに駆逐されるのは比較的最近のことで、昭和30年代から40年代の高度成長期です。

 在来種のタンポポがやすやすと駆逐されてしまったのには生物学的な理由があります。在来種は染色体(遺伝子が記録されている)が2セットある2倍体で、雌しべと雄しべから染色体を1セットずつもらって増殖します。それに対して、西洋タンポポは3倍体で、奇数のためうまく二つに分けられず子孫を残せません。そこで西洋タンポポが編み出した方法は雄しべの体細胞がそのまま育って種子になる無性生殖です(無融合生殖)。

 高度成長時代に、在来種のタンポポの住み家であった野原は一斉になくなり、在来種は消滅していきました。それに代わって無融合生殖という手軽な増殖手段を身につけた西洋タンポポが都会を占拠していきます。

 心配ご無用。在来種のタンポポも黙ってはいません。西洋タンポポとの交配という手段を使って、雑種として生き残ります。在来種も外来種もタンポポの花はのどかに見えますが、両者の間にはすさまじい生き残り競争があったことになります。

 謝意:タンポポの生存競争については、多田多恵子:したたかな植物たち、春夏編(ちくま文庫)に負うところが大きいです。


 硬い話の後は、上を向いて一服。

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