満月に誘われサイエンス少々とアート少々
1.丸い月と丸い地球のサイエンス
11月30日は満月。雲の合間にまん丸いお月さまを見ることができました(写真)。中秋の名月から数えてふた月遅れの満月です。月が暈(かさ)をかぶっているのは写真に写っている雲のはるか高層(高度1万メートル)にベール状の薄い雲(巻層雲)が覆っているからです。巻層雲は氷晶(微細な氷の結晶、断面は6角形)の集まりで、氷晶がプリズムの働きをし、月光を屈折させるため暈(ハローともいいます)をかぶります。
次の写真は丸い太陽が朝焼けを背景に昇るところです(11月18日)。いずれも我がマンションのベランダ(4階)から撮りました。
地球の丸さがベランダから分かればいいのですが、それは無理。アポロ17号から撮った写真を掲げます。見事にまん丸です。
満月 | 朝焼けと太陽 |
Apollo17 から撮った地球<上半分にアフリカ大陸が見える> | はやぶさ2から撮った小惑星リュウグウ (直径約900 m) |
月も、太陽も、そして地球もほぼ完全な球形です。どうしてそこまで丸いのか考えてみたくなります。リンゴの落ちるのを見て、ニュートンは万有引力に気付きました。その万有引力が球形になる原因ですが、にわかには球形と結びつきません。
地球などの惑星が形成される以前にさかのぼります。誕生して間もない太陽(46億年前)の周りには、無数の岩石片や鉄、氷塊、ガス(まとめてダスト(ほこり)と呼ばれています)が円盤状に広がり回転していました(原始惑星系円盤)。ダストは離合集散を繰り返すうちに多数の微惑星が形成されます。微惑星は衝突を繰り返し、そのうち大きくなったものが原始惑星です。原始惑星の中心部分は溶けた鉄でできていて、その外側は岩石の集まったマントルで覆われています。残念ながら原始惑星系円盤から原始惑星が形成される詳しいメカニズムは分っていません。
原始惑星まで大きくなれなかった天体が小惑星です。はやぶさ2が目指したリュウグウは小惑星の一つです。リュウグウはすき間の多い岩石の塊であることが分かりました。大きさは900mもありますが、重力が不十分なため形は球ではなく、いびつです。
原始惑星どうしが衝突したり、残っている薇惑星がぶつかったり、まわりにあるガスや岩石片、氷塊を万有引力が引き付けて原始惑星は成長し、惑星(地球)になります。図1、2を使って、原始惑星が球形に成長する過程を説明します。便宜上、成長の素材は岩石片のみとします。原始惑星はこれ以降、小地球と呼ぶことにします。
図1の岩石片A(ねずみ色に塗りつぶしたちいさな円)は小地球(青色に塗りつぶした大きな円)から万有引力を受け、地球の中心Oに向かって引き寄せられます。岩石片Bも同様に中心に向かって万有引力を受けます。
図1 水色の球は小地球。ねずみ色の岩石片Aは小地球の中心 O に向かって落下し、表面に達します。小地球が丸いことを考えると岩石片 B も同様に地球の中心に向かって落下します。
図2 小地球の周りを運動している無数の岩石片(ねずみ色に塗りつぶした円)は引力により小地球に引き寄せられます。簡単にするため、岩石片は同じ大きさの円として描かれています。
小地球の周りにある無数の岩石片(ねずみ色円)は四方八方から小地球に引き寄せられます。長い目で見ると、岩石片はならされ小地球は一回り大きくなります(図2の点線)。この過程を繰りして小地球は成長していきます。やがて周りの岩石片を使いつくし、成長は止まります。現在の地球誕生です。
地球にある大量の水はダストの氷塊が解けたものです。私たちは日々、宇宙の「ほこり」を飲んでいることになります。
重力による丸さの形成過程は月や太陽にも当てはまります。言ってみればお月さまが丸いのは万有引力の所為なのです。月の場合、素材は原始惑星どうしが衝突したときに小地球から弾き飛ばされた岩石片です。
2.月に因んだアートを少々
キッチン用品のお店、チェリーテラス代官山で買い物をするとCHERRY TERRACE 2020 NOTEBOOK と銘打ったおしゃれなメモ帳(非買品)が送られてきます。その表紙にはGuido Scarabottolo(イタリアのイラストレイター)がその年の干支を描いています(上の写真)。
今年の干支は鼠。鼠は私の干支でもあります(84歳)。満月に映る鼠は月の丸さに頭をひねる自分の姿のようでもあり、ほほが緩みます。
イラストレイターの想像力は地上にいる鼠の影を、あり得ないことですが黄色いお月さまに映しだします。同じ想像力でも万有引力から丸いお月さまの形を論じる科学者とは雲泥の違いです。
文系と理系の間に深い谷間のあることはC. P. スノーが指摘して久しくなります(1959年の講演をもとに執筆された「二つの文化と科学革命」(みすず書房))。同じ丸いお月さま。それを万有引力の所為とみるか、それとも自由に想像力を羽ばたかせる対象とみるか、両者は別世界のことのように見えます。
スノーは科学革命により二つの文化の谷間は埋まるものと楽観的でしたが、果たしてそうでしょうか。その後の科学技術の著しい発展は恩恵だけではなく、環境問題や資源枯渇、所得格差、核兵器、パンデミックなど負の側面をもたらしました。
二つの文化には谷間のある方がむしろ好ましい気がします。科学者ニュートンの想像力とイラストレイター Scarabottoloの想像力は、谷間で隔てられていたからこそ豊かさをもたらしてくれたように思います。
しかし、負の側面を解決するには両文化の知恵を絞らなければなりません。うかうかしていると人類は滅亡するかもしれません。
皆さんはいかがお考えでしょうか。
追記:C.P.スノーの本は「大昔」に畏友小岩昌宏さんからすすめられて読みました。ブログで取り上げた宇野先生の本について「宇野重規:未来をはじめるを読みました。とてもよい本ですね。孫 高校2年生 に読むように勧めました。」と彼からRe をもらいました。本との出会いは不思議な縁で結ばれています。