「銀座百点」6月号
銀座には創業100年を超えるお店が点在します。「銀座百点」はそういう老舗が中心になって月に1回の発刊を続けている銀座のPR誌です。ここでは手元にある6月号を取り上げます。さすが銀座、表紙からして垢抜けしています(写真1)。/p>
写真1 銀座百点 6月号の表紙
このPR誌から2点を取り上げてみます。大和屋シャツ店と「百点対談」です。
大和屋シャツ店
写真2 大和屋シャツ店
創業148年、オーダーメイドシャツのお店です。写真2は自慢の生地を抱える石川成美社長です。誇らしげな表情に引き込まれます。
本物のシャツを支えるのは生地の豊富さで、店内だけで千種類もあります。生地の95%がヨーロッパ製だそうです。最高の生地を用いて、ベテランの職人がシャツを仕上げます。オーダーから仕上げまでに40日もかかります。お値段も相当なものと推察されますが、問わないことにします。
近頃は「本物を一枚つくりたい」と、訪れる若者が増えてきたとのことです。自分へのごほうびはもちろん、大切な方への贈りものには、お仕立券付きが喜ばれているようです。庶民にとっては別世界の話です。それが銀座です。
百点対談「死を想い、生きていく」
垣添忠生先生(日本対がん協会会長)と嵐山光三郎氏(作家)
長年の友情に根差した率直なお二人の会話に引き込まれます。抜粋します。
その1
会った早々に交わしたお二人の挨拶にまず引き込まれます。
嵐山 きょうは久しぶりに垣添さんと会えて、うれしいなあ。
垣添 嵐山さんとのつきあいは、桐朋学園中学に入ったときからですね。
嵐山 12歳のときからだから、もう70年以上ですね。
垣添 中学の入学式のとき、男性5部合唱が佐藤春夫作詞の効果を歌うのを聞いたのが非常に印象に残っています。もう一つは嵐山さんに会ったこと。祐乗坊英昭が本名だね、目がキラキラしていた。
嵐山 キラキラの少年時代か(笑)。
垣添 あの紅顔はいずこへ(笑)。
その2
嵐山 垣添さんが2009年に『妻を看取る日』を出版してからだいぶ時が流れましたね。
垣添 妻の昭子が亡くなったのは2007年の大みそかだから、18年目に入ったところです。出版する際には、だいぶ面倒を見てもらいましたね。
嵐山 だって百枚ぐらいの原稿がいきなり届いて、「つまんないならほっとけ、よかったらどこか出版社を紹介しろ、と書いてあったから(笑)。それで新潮社に話をして本になりました。
垣添 妻を亡くしてすぐの正月三日はお棺のそばで顔を見てはぼろぼろ涙を流していたんだけど、少し落ち着いてから病歴や自分の気持ちなどを書き留めていったのがもとになっています。はじめは『妻を看取る』という題で書いていましたが、新潮社の石井昂さんが『妻を看取る日』しようと。一字加えただけで、一気に緊張感が出ました。
嵐山 ベストセラーになって、テレビドラマ化された。印税は、全部寄付したんですか。
垣添 はい。わたしが会長を務める日本対がん協会に寄付しました。今も会長職ですが、完全にボランティアです。
その3
垣添 日本では統計的には二人に一人、がんになります。年間百万人が新たにがん患者となっているのは事実です。それを聞いて「二人に一人はがんにならないから自分はだいじょうぶ」と思い、検査や予防などを受けない。要は半分の確率に自分があてはまるかどうか、という話なのですが、当事者意識をもってもらうためには、情報は気をつけて伝達しないといけないですね。80歳過ぎてもがんになる可能性はもちろんあります。現在83歳のわたしも、今まで大腸がんと腎臓がんにかかりました。そういう嵐山さんは健康に気を使っていますか。
嵐山 歩いたり、自転車に乗ったりして近所をうろうろしていますよ。垣添さんはいろいろ運動をしているんですね。
垣添 朝早く起きて筋トレとストレッチを必ずやっています。高齢者の家庭内事故でいちばん多いのは、転んで骨折することです。膝と足をつなぐ、脛骨(けいこつ)、腓骨(ひこつ)の二つの骨の間に前脛骨筋(ぜんけいこっきん)という細い筋肉があり、これがつま先を上げる働きをしています。前脛骨筋が年齢とともに委縮して、つま先が上がらなくなり、つま先が垂れてちょっとした階段に引っかかって転んでしまうのです。それを防ぐにはちょっと背の高いいすにつかまって、かかとを上げる運動をする、その次につま先を上げる運動をする。それを毎日すると効果的です。わたしは毎朝百回やっているんですよ。
嵐山 (実際に試してみて)やってみると、けっこう大変だなあ(笑)。
垣添 足が弱っているからですよ。これを全高齢者に伝えるのが、きょうの対談でいちばんだいじなことです(笑)。
その4
垣添 闘病の最終段階、いわゆる終末期を迎えた12月28日に(妻の昭子を)家に連れて帰り、好物のアラ鍋をつくったんです。抗ガン剤の副作用で食べられないかなと思ったら、お茶碗2杯おかわりして、おいしいって。苦労してつくってよかったと思いました。ほんとうれしそうだった。家でなくちゃって満足しているようでした。でも翌日の29日から意識が切れ切れになって、30日の午後から呼吸パターンが乱れ、31日大みそかの朝から完全に意識がなくなり、午後から激しい呼吸困難におちいりました。夕方6時15分だったと思います。完全に意識がなく呼吸困難であえいでいたのに突然身を起こして、ぱっとわたしのほうを見て両目をパチッと開いた。そしてわたしを目で確認しているんです。彼女の右手がわしの左手をぎゅっと握って、そのままガクッと逝きました。言葉はなかったけど、「ありがとう」と言われたと思っています。彼女は家で死ねたことを喜んでいたと思います。その様子を見て、わたしも家で死のうと思いました。
その5
嵐山 ・・・死後の世界とか考えたことありますか。
垣添 あんまり考えないですね。死んだら灰になる。
嵐山 浄土や天国はあると思いますか。
垣添 天国はないと思うけど、残された人の心の中にそういうのはあるのでしょうね。
嵐山 死んだら昭子さんに会えると思いますか。
垣添 会えると思うと気が楽になりますよね。だから死後の世界とか浄土は残された人の想念なのだと思います。
嵐山 心の中に浄土があると。
垣添 くりかえしだけど、死んだら灰になって、それっきりだと思う。残された人の記憶にどれだけ残るかということだと思います。
嵐山 お墓はどっかに作っていますか。
垣添 つくらない。妻は実家のお墓にいますが、わたしが死んだら彼女の骨だけ取り出して、わたしの骨と合わせて粉砕して、二人でよくカヌーで寄った奥日光の中禅寺湖のほとりのとある場所に撒(ま)いてもらいます。
嵐山 自然葬ですね。
垣添 リン酸カルシウムの粉だから環境汚染にならないし、大丈夫だとおもいます。
「百点対談」の最後にある垣添先生のメッセージでこの抜粋を終えます。
垣添 限られた人生だからこそ、力の限り前向きに、日々のことに集中して生きるのが大切なのです。
謝辞
「銀座百点」は銀座界隈の地域限定誌で、手にする人は限られています。6月号は銀座の雰囲気を伝える「大和屋シャツ店」の記事と含蓄に富んだ垣添先生と嵐山氏との「百点対談」を引用しました。「銀座百点」誌関係の皆様に感謝いたします。
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