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2025/5/22 新着記事

日々雑感51「終戦から80年を迎えて」(25/5/21記)


    2024

    12/22 日々雑感50「日本被団協 24 年ノーベル平和賞受賞」(24/12/8記)

    11/21 日々雑感49「象形文字‘看’に導かれて」 都会の片隅に咲く草花51

    10/12 日々雑感48「武者小路実篤の詩」、都会の片隅に咲く草花50

    9/3  日々雑感47「君が戦争を欲しないならば」,都会の片隅に咲く草花49

    8/5  日々雑感46「シウマイ弁当」 都会の片隅に咲く草花48

    7/11 日々雑感45(24/7/3記) 都会の片隅に咲く草花47(24/7/5記)

    5/29 日々雑感44(24/5/26記)  都会の片隅に咲く草花46(24/5/26記)

    5/6  日々雑感43(24/4/29記)都会の片隅に咲く草花45(24/5/2記)

    4/22  「都会の片隅に咲く草花44」の最後に、藤の花の写真追加

    3/26  日々雑感42(24/3/26記)都会の片隅に咲く草花44(24/3/29記)

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    日々雑感51「終戦から80年を迎えて」(25/5/21記)

    終戦から80年を迎えて

     終戦から80年目をむかえます。この間、戦争に巻き込まれることもなく日本は経済的繁栄を享受してきました。ひとえに戦争放棄をうたった憲法第9条のおかげです。


     そのことを知人に話すと憲法第9条はフランス革命のように広く世界には認知されていないと言われ、落胆しました。

     しかしこの度の日本被爆者協議会のノーベル平和賞受賞は私を再び元気づけました。若き選考委員長ヨルゲン・フリードネス氏は核をタブー視(nuclear taboo)する人が世界で一人でも増えることが核廃絶につながると指摘しました。(「日々雑感50」参照)


     私はこの4月で89歳になりました。戦前、戦中、戦後をまるごと体験した、いまとなっては数少ない生き残り組の一人です。石川台にあった我が家は焼夷弾の直撃を受け燃えてしまいましたが、その前に家族は疎開し無事でした。


     疎開先は父の里で滋賀県八日市の近くでした。そこには当時飛行場があり、大きな翼のB29が真夏の太陽をキラキラと反射させながらしばしば偵察にやってきました。飛行場からは日本の戦闘機が急上昇しましたが、あえなく撃ち落とされました。高射砲は撃てども成層圏飛行のB29に届きません。軍国少年だった私は無念な思いをしました。


     東海道線に乗って疎開先に向かっていたときのことです。野ざらしの根府川駅ホーム先端に赤いカンナが数株咲いていました。ずうっと後になって、そのカンナは茨木のり子の美しい詩になっているのを知りました。反戦の思いを込めた「根府川(ねぶかわ)の海」です。

    (no title)

    text

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    日々雑感50「日本被団協 24 年ノーベル平和賞受賞」(24/12/8記)

     被団協(1956 年結成)の受賞は核廃絶に向けての力強い一歩です。しかし油断してはなりません。世界には2021年現在134百発もの核兵器が存在しているからです。

     毎年10月になるとノーベル賞が話題になります。予想外にあった日本原水爆被爆者団体協議会(被団協)が今年のノーベル平和賞を受賞しました。まことに喜ばしいことです。

    ノーベル平和賞授賞式

     しかしなぜこの時期になぜ受賞となったのかが気になります。それは2024年に委員長として就任したヨルゲン・ヴァトネ・フリードネス氏(39)に負うところが大です。核タブーnuclear taboo)が壊されようとしているいまだからこそ、そこに向けての被団協の長年の活動が評価されました。

     被団協の活動については、岩波ブックレットNo.1048(2021)にまとめられています。被爆者の声を一つだけ引用します。

     核兵器やミサイルが存在する以上「目には目を、歯には歯を」以て国を守ることは不可能です。核兵器搭載ミサイルの打ち合いになるだけです。遠くても「核タブー」を人類の総意とする以外に人類が生き残る道はありません。

     ノーベル平和賞の授賞式(1210日)で被団協の代表委員である田中煕巳さん淡々とした口調で「想像してみてください、直ちに発射できる核弾頭が4千発もあるということを」。そして「いつ被害者になってもおかしくない。加害者になるかもしれない。核兵器をなくしていくには、世界中のみなさんで共に話し合い(核廃絶)求めていただきたい」と訴えました。

    田中煕巳さん・受賞講演
    席がほぼ埋まったノーベル平和賞授章式:オスロ市庁舎(写真:朝日新聞webより)
    フリードネス会長

     田中煕巳さんの受賞講演に寄せてフリードネス会長(委員長)は彼の期待を打ち明けています。「演説で彼が語る証言が、核兵器が人類にとって最も破壊的な、二度と使われてはならない兵器だということを思い出させ、世界中の人類、そして、これから先の世代にまで影響を与えると確信しています。人類の総意になるでしょう」と

      田中煕巳さんの受賞講演は私たちへの次のメッセージで終わっています。

     『世界中のみなさん、「核兵器禁止条約」のさらなる普遍化と核兵器廃絶の国際条約の締結を目指し、核兵器の非人道性を感性で受け止めることのできるような原爆体験者の証言の場を各国で開いてください。とりわけ核兵器国とそれらの同盟国市民の中にしっかりと核兵器は人類と共存できない、共存させてはならないという信念が根付き、自国の政府の核政策を変えさせる力になるよう願っています。
     人類が核兵器で自滅することがないように!!
     核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう!!』


     淡々と語る田中煕巳さんの講演は胸にジーンと響きました。細やかながら被団協に募金しました。

     <参考> 田中煕巳さん受賞講演(全文:日本語)・フリードネス会長スピーチ(日本語)

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    Arts, Science, 日々のこと

    日々雑感49「象形文字‘看’に導かれて」(24/10/29記)

     漢和辞典で ‘看’という字が目に留まりました。‘看’は「目の上に手をかざしている人」の象形文字だと説明にありました。漢字の起源は紀元前 1300年ごろといわれ、そのような昔に象形文字 ‘看’ の誕生していたことに驚かされます。

     漢字の「」は互いに支えあっている人の姿をあらわす象形文字だと聞きました。が、これはうそで「人」は人の立っている姿を横から見た象形文字だそうです(左図)。

     ものごとの一つ一つに象形文字をつくっていけばその数は膨大となり、手に負えなくなります。そこで、漢字の構成要素(部首)である(つくり)、(かんむり)、(あし)、(たれ)、(かまえ)、(にゅう)に注目すると漢字は系統的に造字されます。

     例えば ‘看’ は部首「目」に属しています。瞳(ひとみ)は部首(偏)「目」に「小さい」を意味する旁「童」を組み合わせた文字です。このように組み合せによっても新しい象形文字が生み出されます。

     漢和辞典では部首ごとに漢字が分類されています。例えば、岩波漢語辞典では部首が15種類あげられています。

     象形文字は表意文字とも言われています。一例を挙げると、象形文字「山」はただそれだけで山を意味しているからです。

     日本語には漢字とは別に表音文字、あいうえお、かきくけこ・・・があります。漢字との組み合わせにより、ひらかなの文章は簡潔になります(和漢混交体)。

     漢字を覚えるのに学校教育では相当の時間が費やされます。典型的な暗記科目です。

     漢字は七種類の部首から成り立っています(下図)。

    上図は web 上に公開されているイラストから引用しました。

     部首は文字がつくられた古代ではその文字の意味と密接に結びついていました。例えば「」は水部に属する部首で、それが左側に位置するとき「さんずい」(氵)と呼ばれています。もとは水、河川などの深さを測ることをあらわしていましたが、のちに「はかる」という一般的な動詞として使われるようになり、「測」の部首がなぜ「さんずい」なのかがわかりにくくなりました。

     漢字から万葉がなを経て、ひらかな(いろはにほへと・・・)が生まれました。「いろはにほへと・・・」は文字一覧といえども文学の香りのするところが日本的です。

     ひらかなが母音a、i、u、e、o」(あいうえお)と子音 k、s、t、n、h、m、y、r、w、n」(あかさたな、はまやらわ、ん)から成り立つことに気づくのは言語学の素養があったヘボンです。彼はプリンストン大学で言語学を学び、さらにペンシルバニア大学で医学を学びました。日本に来てからは、診察のかたわら患者とかわす会話から熱心に日本語を聞き取りました。

     ヘボン式では「」は tsu と綴りますが、確かに「ツ」の発音はtu よりtsu がより忠実です。「」も同様で ti より chi のほうが近いです。ヘボンはまた日本語の「子音+母音」の例外として、「あります」のをあげています。確かに「あります」のス(su)は母音 u が目立たないので s の方が適切に思われます(arimas)。ヘボンは耳のいい人だったんだと思いました。

    追記

     上の絵は通販生活202411・12 月号の表紙です。木村セツさん(95歳)による新聞ちぎり絵です。猫や雪景色がリアルに見えるのはアートの力でしょうか。

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    秋冬の花, 自宅周辺の花, Science, 東京

    都会の片隅に咲く草花51(24/11/18記)

     10年ほど前の話になりますが、家内がミニバラの鉢植えを買ってきました。それは処分品でしたが、どう言うわけかわがマンションのベランダで毎年こぼれんばかりの花をつけました(写真1)。ところが今年は花付きも悪く、葉は光沢を欠き、元気がありません(写真2)。「お前さんもいよいよ年寄りの仲間入りだなぁ」としんみりとしてしまいました。

    写真1 2021年のミニバラ写真2 2024年のミニバラ

    白秋


      薔薇二曲

         一
      薔薇ノ木ニ
      薔薇ノ花サク。
      ナニゴトノ不思議ナケレド。

         二
      薔薇ノ花。
      ナニゴトノ不思議ナケレド。
      照リ極マレバ木ヨリコボルル。
      光りコボルル。

     昨夜、木枯らしが吹き荒れ、近所の遊歩道の桜はすっかり葉を落としました。遊歩道は落ち葉の絨毯です(写真3)。その上を歩いていいものかと迷います。

     写真3 遊歩道を敷き詰めた桜の落ち葉

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    日々雑感48「武者小路実篤の詩を読んで」(24/10/7記)

     20日ほど前のことになりますが、朝日新聞のコラム「天声人語」に武者小路実篤の詩が紹介されていました。この記事で彼が詩をつくっていたことを知りました。中学生時代に「友情」、高校時代に「人生論」読み、大きな影響を受けましたが、詩にまで目が届きませんでした。

     早速、武者小路実篤詩集(亀井勝一郎編、新潮文庫)を購入し読み始めました。詩というと詩人の鋭い感性と選び抜かれた言葉とが思い浮かびますが、実篤の詩は善意にあふれたやさしい言葉で思いが刻まれています。

     小さな種から大きなカボチャができる驚きの詩もあります。かぼちゃは実篤の画にもしばしば登場します。ユーモアを交えた詩もあります。反戦の詩もあります。穏やかな平和な生活をうたった詩もあります。

    仲良きことはよき哉

    1
    野菜の画に(抜粋)


      半年で小さい種が
      よくもこんなに大きくなって
      人間の食物になるかと
      南瓜を見ると
      我は驚く。

      自然のけっさくを見
      感心して讃嘆し
      それを謹んで描写す
      その事嬉し。
    2
    ある画家とある蛙


      ある画家はある蛙を写生してこう言った。

      「お前の先祖のある蛙は
      柳に飛びついて
      道風を書聖にした。

      又あるお前の先祖は
      古池に飛び込んで
      芭蕉を俳聖にした。

      さてお前は
      じっとしていて
      俺を画聖にしておくれ」

      だが蛙は何とも思わず
      ぴょんととんで
      消えうせた。
    3
    戦争はよくない


      俺は殺されることが
      嫌いだから
      人殺しに反対する、
      従って戦争に反対する、

      自分の殺されることの
      好きな人間、
      自分の愛するものの
      殺されることの好きな人間、
      かかる人間のみ戦争を
      讃美することが出来る。
      その他の人間は
      戦争に反対する。

      他人は殺されてもいゝと云う人間は
      自分は殺されてもいゝと云う人間だ。
      人間が人間を殺していゝと云うことは
      決してあり得ない。

      戦争はよくないものだ。
      このことを本当に知らないものよ、
      お前は戦争で
      殺されることを
      甘受できるか。

      想像力のよわいものよ。
      戦争はよしなくならないものにせよ、
      俺は戦争に反対する。
      戦争をよきものとは断じて思うことは出来ない。
    4
    平和


      峠の上から
      人々の働いているのを見ると
      平和そのものようだ
      
      麦を刈っている者
      田植えをしている者
      馬で田畑を耕している者
      仔馬は母親の廻りをとびはねている。

      それを太陽は慈悲深く
      しかし厳かに照らしている。
      平和そのもののようだ。

      平和の神は太陽と共に
      この世を照らしているのだが
      人々はまだそれを受け入れることが
      できないのではないか。

      神は人々と共に働いているのだが
      人々はそれに気がつかないのではないか。

    —–詩のタイトルへ戻る—–

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    秋冬の花, 首都圏の花, Science, 東京, 樹木

    都会の片隅に咲く草花50(24/10/7記)

     岩波書店のPR誌、図書10月号の表紙です。小児科の加藤静充(かとうきよのぶ)先生が描いたお月見の絵です。題は「ススキ原、相思の月見」とあります。

    「あなたの心の中にも、このようなお月見なら、してみたいなあ、という想いはありませんか」と添え書きをした覚えがあると記しています。なんとも粋な先生です。この先生なら大人になってからでも診てもらいたいなぁと思いました。

     次の写真はわがマンションのベランダ(4階)から眺めた中秋の名月です(9179時)。屋根、屋根、屋根の上に輝く満月です。ススキ原に比べればなんとも殺風景です。

     東京で月が顔を出したのはこの一日だけで、その前日も、あとの日も見られませんでした。

     ススキのような勢力の強い草でも東京では線路沿いとか河原とかを除けばほとんど見かけなくなりました。 わがマンションのエントランスホールで「小さな秋」を見つけました。


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    Arts, 少年時代, 日々のこと

    日々雑感47「君が戦争を欲しないならば」(24/8/28記)

     8月が来るといつも思い出します。無謀な戦争を仕掛けた軍部、ずるずると戦争に巻き込まれた日本国民、最後は広島、長崎の原爆で大きな犠牲を払い終戦となりました。

     日本人のずるずる体質と戦争との関係を淡々と語ったのが高畑勲(1935-2018)著「君が戦争を欲しないならば」(岩波ブックレット No. 942 2015年)です。この小冊子は三つの講演録から成り立っています。

    <※この本の紹介はこちらにも>

    •  1)語ってこなかった戦争体験
    •  2)民主主義一期生としての戦後体験
    •  3)戦争を欲しないならば、何をなすべきか

    )は岡山空襲で九死に一生を得た監督の体験談です。2)は先生も生徒も民主主義を知らない中で試行錯誤を続けた教育についてです。3)では日本人が抱える同調体質(ずるずる体質)にブレーキをかけているのが憲法9条に他ならないと述べています。

     この三つの講演を通して著者が言いたかったことが講演3)にまとめられています。抜粋します。

     「憲法九条を基盤にした賢明でしたたかな外交努力、平和的国際貢献こそが最大の抑止力であり、世界のすべての国との相互理解を前進させるのが日本の唯一の道です。70年間、戦闘で一人も殺さず、殺されず、いまもなお戦後といえることがどんなに幸せなことか。この平和をさらに強固なものにするために、私たちは改めて日本国は、憲法によって戦争をしない国、戦争することのできない国であることを誇り高く内外に宣言すべきです。」

     「私は自分も含めこの(ずるずる)体質と(同調)気質が本当に怖いのです。だから憲法九条は最後の歯止めとして絶対に変えてはならないと思います。九条は、戦後日本国の所信であり、理想であり、それに縛られることこそが、近隣諸国との友好の基礎であり、国際的に日本の地位を安定させる力だからです。」


     「ずるずる体質は怖いよ」と繰り返す高畑アニメーション映画監督の真剣さが胸に突き刺さります。「ずるずる体質」と憲法9条(下記参考)とを結びづけた高畑監督の見識(嗅覚)には敬服するばかりです。

    追記

     アニメーション、折にふれて」高畑勲:岩波現代文庫、2019)から引用します。

     「私は国民学校4年生で空襲に遭い、玉音放送を聞きました。開戦当時は小さかったですから、よく分かっているとは言えませんが、少なくとも太平洋戦争を始めた頃、大多数の人々は戦争を支持したのだと思っています。それまでの日中戦争もそうです。あの頃の戦勝旗行列・提灯行列は、決して強制されたからやったのではなく、みんな喜んで参加したのです。つまり大々的に応援したのです。そして酔ったように感動したのです。そして戦争に反対した少数の人々は、すでに牢屋にぶち込まれていました。

    蛇足 私は1936年生まれですから、僭越ながら高畑監督の体験(講演録)と重なります。


    参考

    第2章 戦争の放棄

     第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決手段としては、永久にこれを放棄する。

     前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

     第二次世界大戦では5000万人を超える命が奪われました。兵士よりも民間人の死傷者数が上回ったと言われています。この悲惨さを二度と繰り返させない歯止めが日本国憲法第9条です。

     「永世中立国スイス」は戦後の学校教育でしばしば取り上げられました。スイスに代わって、「平和憲法の国日本」と誇りをもって世界に叫びたくなります。

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    秋冬の花, 自宅周辺の花, 首都圏の花, 夏の花, 春の花, 東京

    都会の片隅に咲く草花49 (24/8/29記)

     わがマンションのエントランスホールや中庭の花々を取り上げます。

     園芸上手の住み込みの管理人さん夫妻による折々の鉢植えが主ですが、時には住民の方が持ってきてくれたものもあります。集合住宅(7階建て、70所帯)ならではのことです。

    以下はこれまでに楽しませてくれた花々のリストです。

    • 4月 シンピジューム、クレマチス
    • 5月 キンレンカ(橙)、キンレンカ(黄)
    • 6月 ユリ、キキョウ
    • 6月 ハイビスカス
    • 7月 白鷺草
    • 8月 ノボタン、カセイマル(サボテン)

       ※「都会の片隅で咲く草花45」 と一部重なっています。

    シンピジュームクレマチス
    キンレンカ(橙)キンレンカ(黄)
    ユリキキョウ

    ハイビスカス 月光 白鷺草
    ノボタンサボテン カセイマル

     管理人さんはまた几帳面でごみ置き場の管理も徹底しています。生ごみでよごれ勝ちなポリバケツはごみ回収後、水洗い、天日で乾燥という徹底ぶりです(写真)。ごみおき場の床もモップできれいに掃除です。ごみ置き場で見かけがちなゴキブリは寄り付きません。ゴキブリホイホイは無用です。

    ポリバケツの天日干し

     築50年をこえるこのマンションはヴィンテージ(vintage)として高く評価されています。「財産価値を下げない」という指針のもと、住民からなる理事会が機能しているからです。理事会は大規模修繕、2重ガラス窓の断熱工事、耐震工事など次々と老朽化対策に取り組んできました。長期修繕計画も視野に入っています。わがマンションは地域共同体の模範ではないかとひそかに誇りに思っています。


    追補

     私たちのマンションに五十嵐吉彦さん(日本スケッチ画会会長)がいらっしゃいます。お描きになった水彩画がときどきエントランスホールに出品されます。下の写真は現在飾られている水彩画です。さわやかな透明感が特徴です。

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    日々のこと

    日々雑感46「シウマイ弁当」(24/8/2記)

    横浜名物「シウマイ弁当」の誕生

     大きな駅にはその土地の名物がありますが、横浜にはない。横浜駅は単なる通過駅でした。

     もともと駅弁屋であった崎陽軒はこのままでは未来はないと、横浜の中華街から料理人を呼んで中華風弁当の開発に取り組みました。中華料理は汁の出るものが多く弁当向きではありませんでしたが、シュウマイは汁の出ないことに気づきました。

     干しホタテを加えるとシュウマイは冷めてもおいしく食べられることも分かりました。ホタテ入りシウマイ弁当の誕生です(写真1)。シュウマイは個入っています。私はこの話を崎陽軒代目会長(故)野並豊氏からお聞きしました。私と野並会長との関係については追記※で述べます。

    写真1 崎陽軒シウマイ弁当

     弁当の名前をシュウマイではなくシウマイとしているところに崎陽軒のこだわりがあります。栃木県出身だった初代社長野並茂吉氏は栃木なまりがあり、シュウマイのことを「シーマイ」と呼んでいました。それを聞いた中国人の料理人が「中国語の発音に似ている」とほめたことから、「シウマイ」が正式な商品名になったとのことです。

    追記

     野並豊氏横浜市立大学国際商学部の前身である横浜市立商業専門学校(Y専)で学んだ後、慶應義塾大学経済学部を卒業しました。私が横浜市立大学の学長を務めていた当時(2002-2005)、卒業生の同窓会である進交会の理事長をされていました。会合は崎陽軒の会議室で行うのが常でした。

     あるとき、最上階にある会長室に誘われました。その時にシウマイ弁当の話を聞きました。

     会長室に入って驚いたのは、音符がびっしりと詰まった楽譜が部屋に広がっていることでした。楽譜を見ながらベートーベンの交響曲を聞いているとのことでした。人は見かけではわからないと強く感じました。

     独立法人化(2004年施行)の波が大学に押し寄せ、その上に中田宏市長の予算削減の波が重なりました。「横浜市立大学在り方懇談会」(座長橋爪大三郎)が設置され、横浜市大売却をも視野に入れた答申案が公表されました。

     野並会長は大変心配され、私を連れて当時の菅義偉衆議院議員(神奈川県選出)や中田宏市長を訪問し、市大存続を訴えてくださいました。一企業の経営者にとどまることなく、長い目で社会を見ることのできる人でした。

    Photo by David Joly, Canada

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    自宅周辺の花, Science, 夏の花, 東京

    都会の片隅に咲く草花48 (24/7/31記)

     ベランダ菜園の小松菜についてはこのブログで何度か触れました。不思議なことに15株ほどのうち一株だけ茎がすくすくと伸び花をつけました(写真1)。弁花でめしべの周りは6本のおしべが囲んでいます(写真2)。

    小松菜栽培てんまつ記1    **小松菜栽培てんまつ記2

    写真1 花をつけた小松菜写真2 小松菜の花

     一見、菜の花に似ています。小松菜は菜の花の一変種です。めしべは花弁から突き出し、緑色を帯びています。

    図1

     図1 アブラナの花の構造

     めしべの柱頭は受粉に備え、丸く広がっています。子房は熟すとさやになり、種を包みます。めしべは将来のさやを先取りして緑色を帯びています。

     小松菜、今シーズン最後の収穫を終えました(写真3)。5回目です(8月4日)。種が無事取れれば秋に撒くことになります。

     

    写真3 収穫後の小松菜 

    花のついた一株だけが残されています。

     ※ 図1はネット上に公開されている画像から引用しました。

    Photo by David Joly, Canada


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    日々のこと, 東京

    日々雑感45「銀座百点」(24/7/3記)

     銀座には創業100年を超えるお店が点在します。「銀座百点」はそういう老舗が中心になって月に1回の発刊を続けている銀座のPR誌です。ここでは手元にある6月号を取り上げます。さすが銀座、表紙からして垢抜けしています(写真1)。/p>

    写真1 銀座百点 6月号の表紙

     このPR誌から2点を取り上げてみます。大和屋シャツ店と「百点対談」です。

    大和屋シャツ店

    写真2 大和屋シャツ店

     創業148年、オーダーメイドシャツのお店です。写真2は自慢の生地を抱える石川成美社長です。誇らしげな表情に引き込まれます。

     本物のシャツを支えるのは生地の豊富さで、店内だけで千種類もあります。生地の95%がヨーロッパ製だそうです。最高の生地を用いて、ベテランの職人がシャツを仕上げます。オーダーから仕上げまでに40日もかかります。お値段も相当なものと推察されますが、問わないことにします。

     近頃は「本物を一枚つくりたい」と、訪れる若者が増えてきたとのことです。自分へのごほうびはもちろん、大切な方への贈りものには、お仕立券付きが喜ばれているようです。庶民にとっては別世界の話です。それが銀座です。

     百点対談「死を想い、生きていく」

     垣添忠生先生(日本対がん協会会長)と嵐山光三郎氏(作家)

     長年の友情に根差した率直なお二人の会話に引き込まれます。抜粋します。



    その1

     会った早々に交わしたお二人の挨拶にまず引き込まれます。

    嵐山 きょうは久しぶりに垣添さんと会えて、うれしいなあ。

    垣添 嵐山さんとのつきあいは、桐朋学園中学に入ったときからですね。

    嵐山 12歳のときからだから、もう70年以上ですね。

    垣添 中学の入学式のとき、男性5部合唱が佐藤春夫作詞の効果を歌うのを聞いたのが非常に印象に残っています。もう一つは嵐山さんに会ったこと。祐乗坊英昭が本名だね、目がキラキラしていた。

    嵐山 キラキラの少年時代か(笑)。

    垣添 あの紅顔はいずこへ(笑)。


    その2

    嵐山 垣添さんが2009年に『妻を看取る日』を出版してからだいぶ時が流れましたね。

    垣添 妻の昭子が亡くなったのは2007年の大みそかだから、18年目に入ったところです。出版する際には、だいぶ面倒を見てもらいましたね。

    嵐山 だって百枚ぐらいの原稿がいきなり届いて、「つまんないならほっとけ、よかったらどこか出版社を紹介しろ、と書いてあったから(笑)。それで新潮社に話をして本になりました。

    垣添 妻を亡くしてすぐの正月三日はお棺のそばで顔を見てはぼろぼろ涙を流していたんだけど、少し落ち着いてから病歴や自分の気持ちなどを書き留めていったのがもとになっています。はじめは『妻を看取る』という題で書いていましたが、新潮社の石井昂さんが『妻を看取る日』しようと。一字加えただけで、一気に緊張感が出ました。

    嵐山 ベストセラーになって、テレビドラマ化された。印税は、全部寄付したんですか。

    垣添 はい。わたしが会長を務める日本対がん協会に寄付しました。今も会長職ですが、完全にボランティアです。


    その3

    垣添 日本では統計的には二人に一人、がんになります。年間百万人が新たにがん患者となっているのは事実です。それを聞いて「二人に一人はがんにならないから自分はだいじょうぶ」と思い、検査や予防などを受けない。要は半分の確率に自分があてはまるかどうか、という話なのですが、当事者意識をもってもらうためには、情報は気をつけて伝達しないといけないですね。80歳過ぎてもがんになる可能性はもちろんあります。現在83歳のわたしも、今まで大腸がんと腎臓がんにかかりました。そういう嵐山さんは健康に気を使っていますか。

    嵐山 歩いたり、自転車に乗ったりして近所をうろうろしていますよ。垣添さんはいろいろ運動をしているんですね。

    垣添 朝早く起きて筋トレとストレッチを必ずやっています。高齢者の家庭内事故でいちばん多いのは、転んで骨折することです。膝と足をつなぐ、脛骨(けいこつ)、腓骨(ひこつ)の二つの骨の間に前脛骨筋(ぜんけいこっきん)という細い筋肉があり、これがつま先を上げる働きをしています。前脛骨筋が年齢とともに委縮して、つま先が上がらなくなり、つま先が垂れてちょっとした階段に引っかかって転んでしまうのです。それを防ぐにはちょっと背の高いいすにつかまって、かかとを上げる運動をする、その次につま先を上げる運動をする。それを毎日すると効果的です。わたしは毎朝百回やっているんですよ。

    嵐山 (実際に試してみて)やってみると、けっこう大変だなあ(笑)。

    垣添 足が弱っているからですよ。これを全高齢者に伝えるのが、きょうの対談でいちばんだいじなことです(笑)。


    その4

    垣添 闘病の最終段階、いわゆる終末期を迎えた1228日に(妻の昭子を)家に連れて帰り、好物のアラ鍋をつくったんです。抗ガン剤の副作用で食べられないかなと思ったら、お茶碗2杯おかわりして、おいしいって。苦労してつくってよかったと思いました。ほんとうれしそうだった。家でなくちゃって満足しているようでした。でも翌日の29日から意識が切れ切れになって、30日の午後から呼吸パターンが乱れ、31日大みそかの朝から完全に意識がなくなり、午後から激しい呼吸困難におちいりました。夕方615分だったと思います。完全に意識がなく呼吸困難であえいでいたのに突然身を起こして、ぱっとわたしのほうを見て両目をパチッと開いた。そしてわたしを目で確認しているんです。彼女の右手がわしの左手をぎゅっと握って、そのままガクッと逝きました。言葉はなかったけど、「ありがとう」と言われたと思っています。彼女は家で死ねたことを喜んでいたと思います。その様子を見て、わたしも家で死のうと思いました。


    その5

    嵐山 ・・・死後の世界とか考えたことありますか。

    垣添 あんまり考えないですね。死んだら灰になる。

    嵐山 浄土や天国はあると思いますか。

    垣添 天国はないと思うけど、残された人の心の中にそういうのはあるのでしょうね。

    嵐山 死んだら昭子さんに会えると思いますか。

    垣添 会えると思うと気が楽になりますよね。だから死後の世界とか浄土は残された人の想念なのだと思います。

    嵐山 心の中に浄土があると。

    垣添 くりかえしだけど、死んだら灰になって、それっきりだと思う。残された人の記憶にどれだけ残るかということだと思います。

    嵐山 お墓はどっかに作っていますか。

    垣添 つくらない。妻は実家のお墓にいますが、わたしが死んだら彼女の骨だけ取り出して、わたしの骨と合わせて粉砕して、二人でよくカヌーで寄った奥日光の中禅寺湖のほとりのとある場所に撒(ま)いてもらいます。

    嵐山 自然葬ですね。

    垣添 リン酸カルシウムの粉だから環境汚染にならないし、大丈夫だとおもいます。

    「百点対談」の最後にある垣添先生のメッセージでこの抜粋を終えます。

    垣添 限られた人生だからこそ、力の限り前向きに、日々のことに集中して生きるのが大切なのです。

    謝辞

     「銀座百点」は銀座界隈の地域限定誌で、手にする人は限られています。6月号は銀座の雰囲気を伝える「大和屋シャツ店」の記事と含蓄に富んだ垣添先生と嵐山氏との「百点対談」を引用しました。「銀座百点」誌関係の皆様に感謝いたします。

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    Arts, 首都圏の花, 夏の花, 東京

    都会の片隅に咲く草花47 (24/7/5記)

     前回の「小松菜栽培てんまつ記」ではたねから育てた小松菜を収穫し、お浸しにして夕食の一品としたことを述べました。この続編では収穫後の株から新芽が出て、たくましく成長する様子を述べます。

     写真1は小松菜の葉を摘んだ直後の写真です。17日後には株の新芽は大きく育ち、葉の丈は17日で25㎝にもなりました(写真2)。一日当たり1.5㎝の速さです。

    写真1 小松菜の葉を摘んだ直後

    写真2 葉を摘んでから12日後の小松菜

     このような速さですくすくと育つ野菜は東京の小松川辺りの農家が育てていたようです。根拠があるわけではませんが、野草だった小松菜を野菜として品種改良したものと思われます。

     同じアブラナ属のからし菜は自由が丘の遊歩道のあちこちで見かけます(写真3)。葉は虫に蚕食されています。虫にとっても格好のサラダなのかな。

    写真3 遊歩道で見かけるからし菜

     ベランダ菜園で育った小松菜は3度目の収穫を終えました。今回は油揚げと煮しめにしていただきました(写真4)。

    写真4 収穫した小松菜の煮しめ

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