秋冬の花, 自宅周辺の花, 東京, 樹木

都会の片隅に咲く草花30

ポインセチアの不思議

 本題に入る前に椿とポインセチアを比べてみます(写真1,2)。いずれも花の中心に雄しべと雌しべがあります。椿は赤い花びらが囲んでいるのに対して、ポインセチアは赤い葉っぱ(苞(ホウ)後述)が囲んでいます。花びらはありません。花びらや苞の付け根には光合成に欠かせない緑色の葉っぱがあります。ポインセチアの苞は椿の花びらに対応しています。不思議なことに苞は形といい、葉脈といい葉っぱそのものです。椿の花びらとは大違いです。

写真1 椿 写真2 ポインセチア

 本題の「ポインセチアの不思議」に移ります。ポインセチアはの鮮やかなコントラストでクリスマスを盛り上げます。役目を終えたポインセチアは鉢植えの水を切らさないと夏場をしのぐことができます。赤い葉(苞)は落ちますが、青い葉は次のクリスマスを待ちます(写真3)。

写真3 シーズンを終えたポインセチア 写真4  3か月間の短日処理を施したポインセチア 
真ん中に花芽が見える

 ポインセチアの赤い葉(苞)は葉の色が変化したものです。苞は虫などを呼び寄せるためです。花芽の開花は日が短くなる晩秋から冬にかけてです。花芽といっても花びらはなく、代わりに苞がその役目を果たしています。花びらが葉の色違いとはなんとも不思議な植物です。

 鉢植えの葉を赤くするためには花芽の出ごろを見計らって短日処理をします。1日当たり12時間ぐらい暗闇の中に置く処理です。鉢植えをボール紙で筒状に囲い、上を厚めの布で覆い暗闇にします。2か月もすると葉は徐々に赤味を帯び、苞に変化していきます(写真4)。若い青葉は徐々に葉緑素を失い赤味を帯びます(写真4右奥の葉)。短日処理中に芽を出した葉は全身真っ赤です。苞の中央には小さな花芽がわずかに顔を出しています。

 昨年、クリスマス用に買い求めた鉢植えのポインセチアはすでに花を付けていました(写真5)。花の部分の拡大写真6です。雄花、雌花、蜜腺で構成されています。花びらは無く、奇妙な形の花です。Web ”らら”のフリーハンド絵付けから引用したイラスト(写真7)に花の構造と名称が記されています(写真7)。

写真5 (左) クリスマス用に去年買い求めた大きめのポインセチア 

写真4の鉢植えに比べて1か月ほど早く短日処理をしたものと思われる。

写真6 花の拡大写真 写真7 花の構造と名称 
”らら”のフリーハンド絵付け
による。

 赤い苞と蜜は虫などを呼び寄せ、雌しべの受粉を助けます。雄花、雌花がその役目を終えると、苞から緑色の若葉が出てきます(写真8)。葉先は緑色ですが、付け根や葉脈には苞の名残りが見られます。苞はやがて枯れ落ち、ポインセチアは緑色一色となり、写真3の状態に戻ります。

写真8 花期を終えたポインセチア

若葉は葉緑素を取り戻し、緑色となります。若葉の根元や葉脈には苞の赤味が残っています。

 自前の葉を使って、その色を変えるだけで「えせの花びら」を作る巧みさ加減にはただ感心してしまいます。進化の賜でしょうか。

追記

 ポインセチアは薄い大きな葉をもっています。冬場の室内は乾燥しがちなので、噴霧器で霧を振りかけています。葉は水をはじく性質がありますので霧は水滴となって苞や葉の上に留まります。水滴に日が射すと珠玉に様変わりします(写真9)。表面張力と光の反射、屈折の見事な世界です。

写真9  珠玉の水滴 葉や苞からの反射光を受けて
    水滴は赤や緑色に染まります。

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日々のこと, 東京

日々雑感28(23/1/16記)

絵本「どうぞのいす

  まえおき

 ひと月ほど前になりますが、絵本「どうぞのいす」の著者、香山美子さんへのインタビユー記事が目に留まりました(聞き手:松沢奈々子、朝日新聞、2022/11/28)。この絵本は1981年に発刊され、以来143刷を重ね、売り上げは162万部に達しました(出版社:ひさかたチャイルド)。写真1は40年以上も読み継がれたロングセラーの表紙です。写真2はその英語版です(出版社:R.I.C. PUBLICATIONS)。

写真1 絵本「どうぞのいす」表紙 写真2  英訳本の表紙

 どんな絵本だろうと東京都図書館の蔵書を検索すると「どうぞのいす」はどれも貸し出し中でした。子どもたちに人気のある絵本だ、と納得です。私も予約を入れ、一週間後に借りることができました。

 そのとき英訳本のあることも知りました(写真2)。「どうぞのいす」は何と訳されているのだろうと思いこれも予約しました。翻訳者のミア・リン・ペリー(Mia Lynn Perry)さんはアメリカ生まれの日本育ち、バイリンギストとして紹介されていました。表紙の英訳「The Giving Chair」については後で触れることにします(追記1)。

 本 題

 この絵本の誕生にまつわる作家の思いを松沢記者はていねいに聞き出していました。このインタビユー記事にそって「どうぞのいす」をたどります。

 表紙のうさぎは話のお膳立て役をする陰の主人公です。絵を担当した柿本幸造さんから「どんないす」と聞かれ、イラストを描いて「背もたれはウサギの耳みたいに長くて、しっぽがあって・・・」と香山さんが話すと「サラサラサラーッ」と柿本さんはラフを起こし「こんな感じ?」と聞き返しました。このようなやり取りを繰り返して出来上がったのが表紙の「いす」です(写真1)。

 いすは職人気質のうさぎがのこぎりと金づちを使って角材からこしらえました。出来上がったいすは森に置きました(写真3)。

写真3 森に置かれた「どうぞのいす」 いすは作家の望み通り、耳の長いうさぎとそっくりです。横には「どうぞのいす」と記した立て札があります。(中央の縦線は絵本の折り目)

 作家の頭には「黙っていすを置く」という設定が先にあり、絵本に登場するロバ、クマ、キツネ、リスがきまると動物たちは勝手に動き出したとのことです。動物たちにただついていって、書くだけだったと語っています。

  最初にやってきたのはロバでした。ドングリを詰めたかごを背負っていました(写真4)。重い荷で疲れたのでしょう、かごを「どうぞのいす」に置くと大きな木の下で眠ってしまいました。 柿本さんの描くロバは表情がいかにも無邪気で、子どもたちを穏やかな世界に連れていきます。お話と絵が響き合う香山・柿本コンビの傑作です。

写真4 どんぐりの入ったかごを背負ったロバ (黒い縦線は絵本の折り目) 

 次に現れたのはくまでした。かごの中のドングリをみつけてみなたべてしまいました。「でも からっぽにしてしまってはあとのひとにおきのどく」とかわりに蜂蜜のびんをかごにいれていきました。

写真5 くまが置いていった蜜を美味しそうになめるキツネ。ほっぺには蜜がついています。キツネの表情には狡さが感じられません。

 次に現れたのは焼き立てのフランスパンを片腕に挟んだキツネでした。「どうぞ」なら頂こうと蜂蜜を全部なめてしまいました(写真5)。「でも からっぽにしてしまってはあとのひとにおきのどく」と、パンを一本かごに入れていきました。

 最後に来たのは「じっぴき」のリスです。ひろったくりをいっぱいもっていました。「どうぞのいす」をみていいました。くりは、ひろいながらたべたけどパンはまだたべていない。「どうぞ」ならいただこうとパンをちぎって、みんなと分け合って食べてしまいました。「でも からっぽにしてしまってはあとのひとにおきのどく」と自分たちがひろったくりをかごにいれていきました。

 このときロバは目を覚まし、かごの中をのぞきました。どんぐりはくりのあかちゃんだったのだとつぶやきました。 終わり

あとがき

 この絵本は30頁ばかりの、小冊子です。見開きごとに話が展開していきます。左側のページ半分に10行ほどの大きな活字の文があり、残りの半分と右ページを使って絵が描かれています。子供たちにとっては読みやすい構成です。

 香山さんは絵本に込めた内輪話を記者に語っています。『「どうぞ」って、誰かに何かをしてあげる時の言葉であり、誘うときの言葉でもある。自分以外の人に対する思いやりの大切さを込めました。「二つあったら一つはあなたにあげよう」という単純な心を伝えたかったんです。』

 「どうぞのいす」の上にあった食べ物を平らげてしまったどの動物も「でも からっぽにしてしまってはあとのひとにおきのどく」と言って自分が持っていた食べ物をかごに入れていきます。香山さんはこの繰り返されるフレーズのリズム感が気に入りました。そして子供にとっては少し難しい言葉である「おきのどく」を知ってほしかったと語っています。

 この絵本には意地悪な動物は一つも登場しません。香山さんは「本来意地悪な人はいない」と思っていて、自分は性善説に立ちたいと話しています。小さいときにこの絵本を読んだ子供たちは大人になってもきっと「思いやりの心」を忘れないと思います。

 頭のかたくなった86歳の私にとってもこの絵本は一服の清涼剤でした。ぎすぎすした世の中だからこそ「思いやりのある人になりたい」と感じさせる絵本でした。

謝辞

 このブログは朝日新聞のインタビュー記事に触発されて書きました。聞き手の松沢奈々子さんに先ず感謝します。聞き手の質問に正直に応えて下さった香山美子さんにも感謝します。意地悪な人はいないという信念が絵本から伝わってきます。イラストレイターの柿本幸造(1915-1998)さんの描く擬人化された動物たちはみな人のよさそうな表情をしています。話と絵とが助け合っているのがこの絵本の魅力です。

 このブログでは柿本さんの絵を多数引用(コピペ)することになりました。天国のあなたに感謝します。なお、引用にあたっては出版社を通して著作権者の確認を取りました。

追記1

 「どうぞのいす」vsThe Giving Chair

 立て札にある「どうぞ」には勧誘と許可の意味合いが含まれていますが、いす自体は勧誘や許可と無関係な存在です。

 作家は「いすの上にものがあれば与える」というメッセ―ジを「どうぞのいす」に込めています。このかくれたメッセージを明確にした名称がThe Giving Chairです。日本語の「どうぞ」では giving の意味は弱くなります。

自動詞giveの進行形givingは与えること(施すこと)を意味しています。香山さんの「二つあったら一つはあなたにあげよう」に対応しています。

 「どうぞ」に対応する英語は普通ならpleaseです。しかし椅子を指して pleaseと言えば「どうぞお掛けください」を意味し、香山さんの思いとは異なります。

 いすの上に食べ物がある場合は「セルフサービスでどうぞ」と許可の意味合いが強くなり、Please よりHelp yourself の方がぴったりです。

 絵本の「どうぞ」をGivingHelp yourselfに使い分けたペリーさんは、さすが「アメリカ生まれの日本育ちのバイリンギスト」だと思いました。

追記2

 「どうぞのいす」は朝日新聞朝刊1面左下にある、小さなコラム「折々のことば」(鷲田清一さん)でも取り上げられました(2023/1/10)。

 コラムの表題は絵本に繰り返し出てきた「でも からっぽに してしまっては あとの ひとに おきのどく。」です。コラムではひとのよい動物たちの様子が要約されています。

 哲学者(臨床哲学・倫理学)の鷲田さんはコラムによっては2,3行のコメントを付けています。「どうぞのいす」では「国の財布が空になると預かった人はどう言うのかな。」です。山椒は小粒でもぴりりと辛い時評です。

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