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日々雑感39(23/12/26記)

 新年を迎えるにあったって、わがマンション(8階建て)の屋上から臨む東京の360度展望を紹介します。

 西方向に目を向けると眼前に屋根また屋根、その向こうに丹沢の山々、そのまた向こうに富士山が君臨しています。写真1は青空に映える富士、写真2は夕焼けを背景にした富士山です。清らかな姿に見とれてしまいます。

写真1 青空に映える富士山写真2 夕焼け空の富士山 

 富士山からやや東寄りに目を移すと武蔵小杉のタワーマンション群です(写真3及び4)。高さが100メートル近くもあるビルが10棟ほどあり、1棟当たり1,500人近くの人が住んでいます。

写真3 武蔵小杉のタワーマンション群   写真4 夕焼け空に映えるタワーマンション群

 東方向には東京工業大学大岡山キャンパスの建物群です(写真5,6,7)。

写真5 東京工業大学大岡山キャンパス。正面が西面、左側面が北面。

写真6 西日を浴びる大岡山キャンパス 羽田空港に向け着陸態勢の旅客機が見える。

写真7 環境エネルギーイノベーション棟南面(東工大HP)

 研究棟の壁面は約4,570枚の太陽電池で覆われています。太陽光を吸収するため壁面は黒っぽく見えます。総発電量は約650 kWで、棟内の消費電力をほぼまかなっています。二酸化炭素排出量は60%以上削減でき、世界でも類を見ない研究棟と言われています。

 東北方向には東京タワー8 km先)とスカイツリー17 km先)の両方を臨むことができます。写真8~11は両タワーの早朝、昼、夕方、真夜中の姿です。

 真夜中になると照明は消え、航空障害灯の赤あるいは白色の電灯が点滅します(写真11)。航空機の安全航行を確保するためです。

写真8 朝焼けと東京タワーとスカイツリー写真9  日中の両タワー    
写真10 夕焼け空と両タワー写真11 真夜中の両タワー

 わがマンションの屋上から眺める光景はいかがでしたでしょうか。朝、昼、夕、晩と定点観測できるのが自慢です。

 自由ヶ丘と言えばトットちゃんのトモエ学園です。駅前はもっか再開発中です。工事現場を取り囲んでいる塀にはトットちゃんのアニメが描かれています。おしゃれな街、「自由」を思い出させてくれる街です。

 新年が少しでも平和に近づく世界になることを祈り、今年最後のブログとします。

写真12  駅前の再開発現場を取り囲む塀とトットちゃん

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都会の片隅に咲く草花41(23/12/18記)

 師走に入ると桜の葉は赤や黄色に染まり落ち葉となります。北風により吹き寄せられやがて朽ちていきます(写真1)カタバミの上に軟着陸する幸せものもあります(写真2)。ベンチの上で一休みという呑気者もいます(写真3)。

 すっかり葉を落とした枝には花芽と葉芽を付け来春に備えています(写真4)。先の尖った方が葉芽、丸みを帯びているのが花芽です。

 桜の黄葉と紅葉についてはキャノン サイエンスラボ・キッズに公開されている分かりやすい図解を引用します。

 本論に入る前に葉がなぜ緑に見えるのかその仕組みを述べます。光合成に欠かせないのが色素クロロフィルで a、b2種類があります。いずれも青と赤色の光を吸収します(図1)。

 光合成に関与しない色の光(主として緑)は反射されて、目に入ります(図2)。緑色の光は葉にとっていわばゴミのような存在です。人はこのゴミを見て、美しいとか、心が休まるとか感じるのですから不思議です。

図1 クロロフィルの吸収スペクトル 図2 葉が緑に見える仕組み 

   図3 コルク質の離層

 冬が近づくと落葉樹は葉のつけ根が離層(りそう)というコルク質の組織でふさがれ、養分の補給が断たれて(図3の上)、クロロフィルは分解されますが、植物にとって貴重な成分である窒素やリンは枝(図では茎)に移動させます(図3の下)。リサイクルです。

 養分の補給を断たれたクロロフィルは分解し、緑色の反射能を失います。その結果、葉が本来持っていた色素、カロテノイド(黄)やアントシアニン(赤)により色づきます(図4)。

 図4 黄葉の仕組み(上図)と紅葉の仕組み(下図

 ケヤキの場合は、葉がもともと持っていたタンニンが葉の老化とともに酸化されこげ茶色(褐色)を帯びます。褐葉と呼ばれています(写真5)。

写真5 大ケヤキの褐葉

追記

 渋柿の渋みは水溶性のタンニンによります。渋柿の皮をむき、干し柿にすると水分が抜けペクチンと結合してタンニンは不溶性となります。不溶性になれば舌は渋みとして感じ取ることができません。

 タンニンは広く植物に含まれています。身近な例としてはお茶の渋みがあります。

🍁今月のカバーフォトについて🍁

今月の写真はブーゲンビリアです。熱帯の花かと思っていましたが、寒さにも負けず近所で咲いているところをパチリと撮りました。(Blog Auther

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都会の片隅に咲く草花40(23/11/30記)

 私の部屋(東向き、4階)からは50 mほど先にある大ケヤキ(高さ20 m、幹の直径1 m)が臨めます。このブログでもその新緑の美しさについて取り上げました(例えば都会の片隅で咲く草花 16)。今回は冬支度に入ったケヤキです。色づいたケヤキの美しさは新緑に劣らないことに気が付きました。

 写真12は朝焼けと青空を背景にした晩秋の大ケヤキです。威風堂々とした姿に圧倒されます。コンクリートの壁に囲まれても少しもへこたれる様子はありません。この大ケヤキを見るたびに力強さを分けてもらいます。老いに負けるなよと。

写真1 朝焼けを背景にした
晩秋の大ケヤキ 
 写真2 青空を背景にした
晩秋の大ケヤキ

 ケヤキの色付きは上から始まりひと月ぐらいをかけて下降していきます。緑、黄金色、茶色、落葉と変化していきます(写真3)。黄金色に輝く葉は有終の美でしょうか(写真4)。なんとも美しい。

写真3 ケヤキの色づき具合 
色づきはてっぺんから始まり、
徐々に下降していきます。
写真4 黄金色に染まった大ケヤキ
写真5 奥沢2丁目公園にある3本
のケヤキ:色づき具合は一様ではなく時間差があるようです。  
写真6 ケヤキのてっぺん部分
葉を落とした枝は天空を突きさすかのようにそそり立っています。

 私の部屋の目の前にある奥沢2丁目公園には高さが15mほどのケヤキが3本あります(写真5)。夏は公園に来た保育園児たちに格好の日陰を用意し、冬になれば葉を落として日差しをプレゼントします。

 写真6はてっぺん部分を拡大しました。枝先は天空に向かってそそり立っています。下から眺めているとなかなか気が付きませんが、ケヤキの特徴です。この写真では梢の先に百舌鳥が止まっています。当たり前のことかもしれませんが、鳥の軽さにただ驚かされます。

 和辻哲郎の随筆松の姿と欅(ケヤキ)の姿とを比べた文章があります。ケヤキの部分を中心に引用します。

欅の葉は、ケヤキが大木であるに似合わず小さい優しい形で、春 芽をふくにも他の落葉樹よりあとから烟(ケム)るような緑の色で現れて来、秋は他の落葉樹よりも先にあっさりと黄ばんだ葉を落としてしまう。この対照は、常緑樹と落葉樹というにとどまらず、剛と柔との極端な対照のように見える。が一層重要なのは枝のつき工合である。松の枝は幹から横に出ていて、強い弾力をもって上下左右に揺れるのであるが、欅の枝は幹に添うて上向きに出ているので、梢の方へ行くと、どれが幹、どれが枝とは言えないようなふうに、つまり箒(ホウキ)のような形に枝が分かれていることになる。欅であるから弾力はやはり強いであろうが、しかしこの枝は、前後左右に揺れることはあっても、上下に揺れることは絶対にない。」(本文の傍点部分は太字に)

 和辻哲郎随筆集 坂部恵編(岩波文庫 1995)p291 松風の音

余談

 欅という漢字は国字(?)で、木偏に擧です。擧は新字体では挙ですから挙手に通じます。カエデの梢は天に向かって挙手している姿に似ていることから国字の欅が生まれたのでしょうか。

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日々雑感38(23/11/30記)

 昨年「世田谷区風景づくり条例」が制定され、奥沢1~3丁目(ほぼ1平方 km)が界わい形成地区に指定されました。このまちの宅地の緑を保全し、まち全体をあたかも「公園のごとく」にしようという試みです(奥沢ガーデンタウン構想)。

 その素地は1923年(大正12年)に起きた関東大震災と関係しています。震災後山手線の外側の地域に住む人が増えはじめました。奥沢2丁目の地主である原氏は周りにさきがけて区画整理をし、宅地として整備しました(写真1)。

図1 海軍村近辺の地図(奥沢2丁目の一部)  海軍村跡石碑、 奥沢2丁目公園、 3 我がマンション、 区画整理された道の一例(写真3参照)

 奥沢は海に面していませんが、海軍省のある虎ノ門と軍港のある横須賀との中間に位置しています。1923年(大正12年)海軍士官の親睦団体「水交社」の斡旋により、住宅地として整備された奥沢2丁目界隈に士官たちが住むようになりました。昭和に入るころ(1926年ころ)には30軒ほどが集まり、海軍村と呼ばれようになりました(写真1)。現在では建て替えが進み、往時の建物はほんの数軒になりました(写真2)。

写真1 海軍村跡石碑 
位置は図1の。 
 写真2 往時の海軍士官の邸宅。
 玄関にはポーチがあり、赤い屋根が特徴です。
 この建物は築100年です。現在でも人が住んでいます。

 邸宅は軍人には似合わず、道路に面し開かれた南欧風の建物でした。玄関にはポーチがあり、赤い屋根が特徴的です。どの士官も似たような家に住んでいました。この写真では写っていませんが、海軍村の家はどこも赤い屋根とシュロの木がセットになっていました(写真67参照)。士官たちは狭い船内で共同生活を送っていたため歩調を合わせたのでしょうか。

 南欧風のオープンな建物は海軍の比較的自由な雰囲気が感じとれます。自由が丘という町名の「自由」が戦中を通して無事生き残ったのは海軍村があったからだと言われています(日々雑感1参照)。自由が丘は奥沢の隣町です。

 海軍村を含め区画整理された敷地は1軒当たり200坪ほどもあり、自ずと緑の多い街並みとなりました(写真3)。そこで緑を守ってまち全体を公園のごとくにしようというアイディアが生まれ、奥沢1~3丁目が世田谷区風景づくり条例に指定されました。

 「土とみどりをまもる会」は1998年以来、市民活動を支援する様々な制度を利用して、活動している団体です。目標は地域の緑について、多くの住民が「自分のこと」として共感をもってもらうことにあります。 

写真3 区画整理された地域の道路。緑の多い家が目立ちます。道幅がやや狭いため自動車が頻繁に通らず、閑静な住宅地区とよくマッチしています。この通りは図14に対応しています。

 共同体としての活動の場の場に、1936年(昭和8年)に建てられたシェア奥沢があります。空き家活用助成金で再生され、奥沢海軍村の風情を今に伝えています。住民主体のデイサービスや音楽会に使われています。

 11月19日(日)に一日限りのカフェサービスがありました。私たち夫婦も穏やかなお天気に誘われ訪問しました。写真4はそのときのスナップ写真です。

 コーヒーを飲みながらくつろいでいる人たちです。奥ではその一人がピアノを即興で弾いていました。力強い、美しい音が響きわたっていました。それもそのはず、手入れの行き届いたSteinway & Sons のグランドピアノからなのです(写真5)。1920年代にハイフェッツ(ヴァイオリニスト)が使っていたのを購入したと聞きました。

 写真4 コーヒーを飲みながらくつろぐ人たち。奥では訪問者の一人が即興でピアノを弾いています。

写真5 Steinway &Sons の古いグランドピアノ

 私たち夫婦もコーヒーを注文しました。奥沢に住む幸せを感じるひと時でした。

 奥沢にはもう一つ「地域共生のいえ」があります。それは読書空間「みかも」です。1924年(大正13年)に建てられた和洋折衷建築の一部にある図書室です。1926年生まれの館長はずっとこの家に住んでいます。築99年の静かな読書空間です。入館料は300円ですが、みかもの運営や維持などのために使われています。

 「みかも」の赤い屋根とシュロ(写真67)は海軍村の影響でしょうか、それとも海軍村の建物を購入したのでしょうか?機会をみて100歳近い館長に尋ねてみようと思います。

写真6 読書空間「みかも」の赤い屋根写真7 みかもの庭にあるシュロの大木

 奥沢界わい地区は地域の有志の人たちと行政(世田谷区)とがうまくかみ合っている稀なケースかと思いました。

1) Okusawa Garden Town みどりの街づくりガイド

(企画・取材 ; 特定非営利活動法人土とみどりを守る会、2021)

2) 読書空間みかもパンフレット(2023年11月)

3)風景祭パンフレット(奥沢風景コア会議、2023年)

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