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KO's Plant Diary and Small Talk
(都会の片隅で咲く草花・日々雑感)
横浜近代水道の父 H. S. パーマー
開港後の横浜には欧米からお雇い外国人、大使館関係者、宣教師、貿易商、船員らが来日し国際色豊かな賑わいを呈していました。併せて西洋文明や文化が横浜にもたらされました。水道、鉄道、新聞、電話、ガス灯、石鹸・・・、食べ物では食パン、アイスクリーム、ビール、牛鍋・・・。
ここでは横浜の発展に欠かせなかった近代水道を取り上げます。埋め立て地の多い横浜では良質の水が得られず、外国人居留地から水確保の強い要望がありました。
英国陸軍工兵大佐 ヘンリー・スペンサー・パーマーは1885年に来日し、神奈川県から横浜上水道建設の依頼を受けて工事に着手しました(脚注1)。水源として相模川と支流の道志川との合流地点を選び、野毛山排水池に至る総延長 48kmにわたる敷設工事が行われました(写真1)。パーマーは顧問工師長を務めました。
写真1 桜木町駅から野毛山浄水場に通じる動物園公園通りに小さな公園(野毛3丁目)があり、ささやかな近代水道記念碑が設けられています。当時の古地図を用いてパーマーの指揮した導水線路が鏡面に描かれています(左から右に走る赤い線)。中央に見えるのは写真を撮ろうとしている私の胴体が鏡から反射されたものです。この古地図を見ると横浜が埋め立て地であることがよく分かります(白抜きの「よこはま」近辺)。その後埋め立て地は拡大し、地図の「現在位置」に及んでいます。経年変化のため、地図のところどころでペイントが剥げ落ちています。
送水にはこれまでの木樋(きとい)に代えて鋳鉄管(写真2,3)を用いた画期的な工事でした。道志川が相模川と合流する地点(海抜 100 m)で取水し、野毛山浄水場(海抜50 m)までの43 km にわたる導水線路をわずか2年で完成しました(1887 年(明治20 年))。事前に行われたパーマー(写真4)の綿密な実地調査が功を奏しました。重い鋳鉄管の運搬にはトロッコの線路を敷くことから始めました(写真5)。
取水口から野毛山に至る導水線路は起伏に富んでいます。鋳鉄管の内部は木樋と違い閉じているため、サイフォン効果により海抜の高いところから低いところへ途中の起伏に関わらず送水が可能となります(脚注2)。
写真2 パーマーが用いた鋳鉄管 中央にパーマーの像がはめられています。 肖像の下に写真1の鏡面があります。 | 写真3 鋳鉄管の断面 内径は20cm ほどもあります。 |
写真4 パーマーの肖像 (拡大図) | 写真5 鋳鉄管運搬用トロッコ 樋口次郎の著書(後述)による |
全長が43km にもおよぶ鋳鉄管は何と英国グラスゴーから運ばれました。産業革命を経て英国の製鉄業は隆盛を極め、鋳鉄管を日本に輸出する余裕と極東の日本に届ける輸送力を有していました。因みに当時の日本からの輸出品はお茶と絹が主でした。国力の差は歴然としています。
横浜市内への給水は1887年(明治20年)10月17日に開始されました。この日、市民への宣伝をかね、市内の最も賑やかな場所にある吉田橋(海抜0 m)で放水試験が行われました(写真6)。消火栓の筒先から勢いよく飛び出す水の勢いに市民は目を見張り、水圧の威力を讃嘆しました(脚注4)。
写真6 消火栓の放水試験と市民 ー樋口次郎の著書(後述)による-
鎖国から目覚め都市のインフラストラクチュア―を整えようとしていたその時に、パーマーのようなすぐれた技術者に恵まれたことはまことに幸運でした(脚注3)。
パーマーは1890年日本人女性、斉藤うたと再婚し娘をもうけました。1893年脳卒中で倒れ、死去しました。享年54歳。青山霊園の外国人墓地に埋葬されています。
孫にあたる樋口次郎の著書「祖父 パーマー ―横浜・近代水道の創設者―(有隣新書、1998)」には、水道工事のてん末が詳しく記されています。良質の水を横浜に供給しようとする明治時代の人たちの意気込みを感じさせる好著です。
なお、写真5,6はこの本から引用しました。
脚注
1 英国地形測量局に勤務した経験を有し、科学者としても知られています。また、ジャーナリストして日本を紹介する役割も果たしました。「日本のように将来の発展が確実視されている国家に対して、いつまでも治外法権を押しつけていることは、究極的には大英帝国の利益にならない」というのがパーマーの固い信念でした。
図1 サイフォン効果の原理図 Wikipediaより転載 | 図2 丸い球の位置のエネルギー 摩擦がなければ落下した球は同じ高さまで撥ね上がる |
サイフォン効果の原理(図1) 水の供給元と受け口とに落差があれば、両者が閉じた管でつながっている場合には途中に多少の起伏があっても受け口に水が供給されます。
3 横浜築港工事や横浜ドックの設計など港湾整備の面でも業績を残しました。
4 図2は野毛山浄水池(海抜h = 50m)から吉田橋(海抜0m)に送水された水と消火栓から放水された水の位置のエネルギーを表す説明図。
摩擦がないとすれば水滴(青色の球)はU字管の底を回って同じ高さ(白丸)まで跳ね上がります。したがって放水された水は原理的には50m の高さに達しても不思議ではありません。科学者であるパーマーはこの原理を理解していたように思います。