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都会の片隅に咲く草花20(続 エノコログサ)

(21/8/13 記)

 前回のブログでイネ科の野草、エノコログサを取り上げました。夏も終わりに近づくとエノコログサの穂は茶色になります。そしていつの間にか枯れ果て、エノコログサの草の生えていたことすら忘れられてしまいます。

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写真1 茶色くなったエノコログサの穂写真2 エノコログサのモミと種

 うす茶色になったエノコログサの穂に実(み)がびっしりついているのを見つけました(写真1)。その穂をつまみ、ほぐすと 1mmほどのモミがパラパラと手のひらに落ちます。それをつぶすとモミから数個の黒い種(0.5mmほど)が出てきます(写真2)。モミの形や色は稲の籾とそっくりです。違いは大きさだけです。エノコログサはイネ科なんだと合点です。

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写真3 毛のついたエノコログサ
の種。束になった毛の先に黒い小
さな種がついています。
写真4 ポロシャツについた毛
の付いた種

 穂をていねいにほぐすと穂から毛のついたまま種が落ちます(写真3)。毛は動物(小鳥?)にくっつき、種を遠くまで運んでもらうためだそうです。毛が子孫繁栄のための手段だとは驚きです。因みにエノコログサの穂を軽くシャツにこすると種が付着しました(写真4)。

 エノコログサと稲は籾が穂にびっしり詰まっているところは似ていますが、稲には毛がありません(写真5)。種を遠くまで運ぶ必要がないからでしょうか。

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写真5 稲の穂 稲の背丈は約1m写真6 トウモロコシ畑
トウモロコシの背丈は約2m

 イネ科の植物にトウモロコシがあります。トウモロコシ(写真7)ってイネ科?と思われる人も多いと思います。実(み)がぎっしり詰まっているところはエノコログサや稲(写真1、4)と似ています。葉の形も似ています。違いはトウモロコシの方が実も葉もサイズの大きいことです。

 エノコログサグサや稲と違って、トウモロコシは茎の先にススキのような雄花が咲きます(写真6)。花粉は一株当たり2000万粒もあるそうです。自株や他の株から飛んでくる花粉を雌しべが確実に受粉するためです。なりふり構わずのばらまき作戦です。

 受粉作戦はそれだけではありません。雌しべ(絹糸)がトウモロコシの先端部に顔を出す前に雄花は咲き出します。雌しべを確実に受粉させるためです。受粉すると雄しべは絹糸の中にある受粉管を通って、芯(穂軸)にある粒に届き受精します。粒は実となります(写真7)。この写真では実(み)は約500粒あります。絹糸も500本あることになりますが数えていません。

 絹糸は下の方から先に伸びますのでトウモロコシの実は下から順につきます。先になるほど実が小さいのはそのためです。

 受粉を終えた絹糸は粒から切れます。トウモロコシの皮(葉身)をむくと付け根の方にある絹糸は簡単に実から離れてしまいます。それに対して未熟な実のある先端部は絹糸がしっかりくっついています(写真7)。

 普段なら料理の前に皮とともにはぎ取ってしまう絹糸ですが、意外な物語が隠されていました。

写真7 トウモロコシ ぎっしり詰まった実は約500粒。毛(絹糸)は雌しべ。頭の先にある毛は出荷時に切り落とされています。実(み)は穂軸の先ほど小粒です。

追記

 コロンブスはアメリカ大陸を発見(1,492年)したとき、アメリカ先住民の栽培していたトウモロコシをヨーロッパに持ち帰りました。16世紀半ばにはトウモロコシの栽培は地中海一体に広がりました。大航海時代の貿易船により瞬く間にトウモロコシは世界中に広がりました。

 室町時代(1579年)には日本にも伝わってきました。当時の日本人は唐から来た新種のもろこし(イネ科の植物)と思い込み、トウ・モロコシと名付けたようです。アメリカ大陸を出発して大西洋、インド洋を回り、はるばる日本にやってきたとは知りませんでした。

謝意 

写真5、6はweb上に公開されていたものを借用しました。トウモロコシの植物学は「アキバ博士の農の知恵」(JA福岡のホムページ)を、追記はWikipedia を参考にしました。

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Science, 日々のこと

日々雑感18(21/8/18記)

朝焼けと青空と白い雲―そのサイエンス

 わがマンションのベランダ(4階)は東方向を中心に北と南に展望が開けています。朝早く目を覚ますと日の出前の多彩な雲を窓越しにしばし眺めます。マンションならではの贅沢です。このブログは言わばプライベート気象台 “ベランダ” からの報告です。

図1 8月6日朝5時の日の出前の空。正面が東方向。

 図1は太陽が顔を出そうとしている直前の空です。太陽からの強い光が建物の谷間に金色に輝いています。太陽に面した雲も金色に縁どられています。空は遠方ほど赤く焼け、高くなるにつれ青空になります。低層雲も太陽から遠ざかるにしたがって赤味が薄くなります。朝日の届かない部分は黒く見えます。てっぺん近くの巻雲(高度約万メートル、高層雲)は白色で、青空が透けて見えます。

図2 太陽光輻射強度のスペクトル分布 縦軸は単位波長(nm、ナノメーター)当たりの輻射強度、横軸は波長(nm)。座標軸の数字は小さく読みとりにくいですが、定性的理解には差し支えありません。この図は公開されている画像を改変したものです。

 図1の美しい空と雲、その背景にあるサイエンスを考えます。その出発点は太陽光の輻射強度スペクトルです(図2)。可視光は黄色(金色)を中心に赤と青方向に広がっています。いわゆる虹の7色です。紫外光、赤外光は目には見えません。成層圏での太陽光エネルギー曲線は太陽の表面温度6000 ℃ で決まります*。

(*印は脚注。他の脚注と共にまとめて最後に記しています。)

 空が遠方ほど赤く見える理由を考える前に、観測点(目の位置)と太陽の高さとの関係を大雑把につかんでおきます(図3)。太陽光が観測点まで空気中を通過する距離は太陽の位置が高いか、低いかで異なります。赤い線の方が青い線より長いことが分かります。赤線の長い光路が朝焼けや夕焼けをもたらします。高低差の効果はすぐ後で詳しく見ます(図4)。

図3 太陽の高さと大気層を通る距離 web 上に公開されている
画像を借用。
図4 朝焼けと青空のサイエンス。太陽は地平線から頭を出そうとしているところを表しています。太陽光が空気層(対流圏)を通り抜ける距離は300kmもあります。空の小さな丸印は散乱体(空気の分子)です。この図は横方向が著しく圧縮されています。

 地表すれすれに来る太陽光は空気層を300 km(~東京・大阪間)ほど通って私たちの目(観測点)に入ります(**)。この過程で太陽光は空気層の分子(散乱体)とぶつかり散乱されます(レーレイ散乱***)。レーレイ散乱の特徴は波長の長い赤い光が短い青い光より格段に散乱されにくいことです。その結果遠くの空は赤く見えます(図1)。青い光は容易に散乱され、地面に吸収されたり、宇宙の彼方に飛び去ったりして私たちの目には届きにくくなります。

 赤い光が山で反射されると山全体が赤く染まります(図5)。赤い山は登山用語でモルゲンロート(ドイツ語で朝の赤色)とよばれています。大学生時代に友人のSさんと北アルプスに登ったとき、モルゲンロートに染まった山々と出会い、その美しさに打たれました。

図5 北アルプスのモルゲンロート web 上に公開されている画像より。

 朝日の場合と同様、夕日を受けた山もまた赤く染まります。アーベントロート(ドイツ語で夕方の赤)とよばれています。

 わが“ベランダ”からこのアーベントロートを見ることができます(図6)。夕日がコンクリートのビルで反射され、言わばコンクリート山脈が赤く染まります。都会のアーベントロートです。

図6 都会のアーベントロート 遠くに見えるコンクリート山脈(?)は東京工業大学のビル群。レーレイ散乱により空もうっすらと赤く染まっています。

 図1に戻ります。空は高くなるにつれ赤から青色に変わります。赤い光に比べ青い光は空気層の分子により散乱されやすいからです。高い空に向かった赤い光は宇宙の彼方に消えてしまいます。それ対して、青い光はその一部が下向きに散乱されて私たちの目に届きます(図4)。高い空の空気は薄いため、下方に向かった青い光はほとんど散乱されずに私たちの目に届きます。青い光が空気層を走る距離は高々10 kmに過ぎないからです。

 ところが高い所にある雲は白く見えました(図1)。図7を用いてそのからくりを説明します。図1の白い雲は高度 10km近くにある巻雲で、氷の粒(氷滴)が集まったものです。粒の大きさ(10μm程度)は可視光の波長(0.4から0.8μmの範囲)より格段に大きく、その場合はどの波長の光もまんべんなく散乱されます(図7)****。

 可視光は空気の薄い層(青塗りの層 )を通り抜け巻雲に達します。巻雲の氷滴により下向きに散乱された下可視光が私たちの目に届きます。雲が白く見えるのはそのためです。

図7 高い雲(巻雲)の氷滴による散乱  簡単のため可視光は赤黄青の3色で表しています。太陽から入射してくる可視光(太線)は空気の薄い層(図の青い層)を通り抜けて巻雲に達し、氷滴により散乱(細線)されます。この図は横方向が著しく圧縮されています。

 少し硬い話になりましたが、美しい朝焼け(図1)を支配しているのは光の物理でした。自然は期せずして物理学のすぐれた案内役だったのです。

 随筆「神話と地球物理学」で、寺田寅彦は日本の神話と地球物理学とを結びつけています。

 イザナギとイザナミの二神による国生みの話は海底火山の噴出、あるいは地震による海底の隆起に帰しています。また大国主神の国曳きはウェゲナーの大陸移動説にその胚芽を含んでいるかもしれぬと述べています。八岐大蛇伝説は噴火にともなう溶岩流と対応させています。「頭八つ尾八つ」の大蛇は溶岩流が沢を求めて合流あるいは分流するさまを暗示しているとのことです。

 非科学的と思われる神話が地球物理学と結びつくとは! 寺田寅彦のマジックにかかったような気分です。なお、この随筆は青空文庫から無料でダウンロードできます。

脚注

* 温度とスペクトル強度曲線の関係はプランクの式で与えられます。この式がきっかけとなってミクロな世界の力学(量子力学)が20世紀初頭に誕生しました。

** 地球の半径6300 km と空気層(対流圏)の厚さ10 km とから算出しました。

*** 波長 λ の光はそれより小さい散乱体(たとえば窒素分子)によって散乱されると、散乱の程度は λ―4 に比例します(レーレイ散乱)。波長λが短いほど強く散乱されます。その程度は赤い光に対して青い光はです。

**** 可視光の波長より大きな粒子による散乱はミー散乱とよばれています。ミー散乱はレーレイ散乱より波長依存性が弱いため(λ2に比例)、可視光は青から赤まで同程度に散乱されます。その結果、巻雲(氷滴の集まり)から散乱されてくる光は白色光となります。

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都会の片隅に咲く草花19(ムクゲ他)

(21/7/23 記)

 青空にむくむくと立ち上がる入道雲、強い日差しを受けた白い道は夏の風物誌です。内田正泰はその光景をはり絵でとらえています(写真1)。田んぼ一面の緑は稲が盛んに澱粉を光合成している証です。澱粉はお米の主成分です。

 こういう風景に接すると疎開先で迎えた8月15日を思い出します。このブログの終わりで触れます。

写真1 内田正泰 はり絵 白い道

 夏になると春を彩った草花に代わり、散歩道は見慣れた野草たちの世界となります。御三家はエノコログサ(写真2、別名ネコジャラシ)、メヒシバ(写真3)、オヒシバ(写真4)です。いずれもイネ科の植物です。イネ科の植物は風媒花のため花弁は退化してなくなっています。種(実)は穂に沿って密集して多数付きます(写真2-4)。イネ科植物のこの特徴を利用して穀物である米や麦が効率的に生産され、私たちの食糧を支えています。

 オヒシバの別名は力草です。地面深くまで根が張っているため引き抜くのに力が要るからです。表面の土が強い日差しで乾燥しても、青々としているのはそのためです。

写真2 エノコログサ
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写真3 メヒシバ写真4 オヒシバ

 イネ科の野草に負けじと盛夏を彩る花木にアオイ科の御三家があります。ムクゲ(写真5)、アオイ(写真6)、フヨウ(写真7)です。花はつぎつぎと咲きますが、個々の花は短命です。朝咲いて夕方にはしぼんでしまいます。花の作りはあっさりしていていかにも夏向きです。

写真5 ムクゲ 色のついた花も
普通に見られます。
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写真6 タチアオイ 写真7 フヨウ

 都会を離れて田舎に行くと、農家の道端に直射日光をものともせず、赤や黄色のカンナが咲いているのを見かけます。赤いカンナと言えば茨木のり子の戦争体験を詠んだ詩が思い出されます。

根府川の海

 
 根府川
 東海道の小駅
 赤いカンナの咲いている駅

 たつぷり栄養のある
 大きな花の向うに
 いつもまっさおな海がひろがっていた

 中尉との恋の話をきかされながら
 友と二人ここを通ったことがあった

 あふれるような青春を
 リュックにつめこみ
 動員令をポケットにゆられていったこともある

 燃えさかる東京をあとに
 ネープルの花の白かったふるさとへ
 たどりつくときも
 あなたは在った

 丈高いカンナの花よ
 おだやかな相模の海よ
 沖に光る波のひとひら
 ああそんなかがやきに似た
 十代の歳月
 風船のように消えた
 無知で純粋で徒労だった歳月
 うしなわれたたった一つの海賊箱

 ほっそりと
 蒼く
  国をだきしめて
 眉をあげていた
 菜ッパ服時代の小さいあたしを
 根府川の海よ
 忘れはしないだろう?

 女の年輪をましながら
 ふたたび私は通過する
 あれから八年
 ひたすらに不敵なこころを育て

 海よ

 あなたのように
 あらぬ方を眺めながら……。

写真8 相模湾を臨む根府川駅

 オレンジ色のカンナが咲いています。遠くに見えるのは真鶴岬。根府川駅は小田原と熱海の間にある小さな駅で、現在は無人駅です。東海道本線に無人駅があるとは・・・。

(この写真はネット上に公開されている画像をコピペしました。)

蛇足「海賊箱」は海賊が宝物をしまっておく、鍵付きの箱です。類似のものに宝石箱があります。


 そうです。8月15日は終戦記念日です。日本は1945年のこの日に無条件降伏しました。戦争の誤りと国民が受けた甚大な被害を記憶に留め、平和の大切さをかみしめる日です。人類滅亡を避けるためには核兵器廃絶と平和の大切さを世界に訴え、それに向かって行動する義務を私たち日本人は負っています。

 TOKYO2020はそのことを訴える絶好の機会だったのに逃してしまいました。

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少年時代, 日々のこと, 東京

日々雑感17(21/7/27記)

TOKYO2020 あれこれ思うこと

 オリンピック・パラリンピックがはじまりました。トラブル続きでしたが開催にこぎつけられてよかったというところでしょうか。しかし、あれだけ大仕掛けの開会式で一体何を伝えようとしたのか読み取れません。和洋取り交ぜてのちゃんこ鍋風というところでしょうか。

 橋本聖子組織委員会会長は開会のあいさつで、「世界中からアスリートが五輪の旗のもとに、スタジアムに集いました。互いに認め、尊重し合い、一つになったこの景色は、多様性と調和が実現した未来の姿そのものです。」とのメッセージを世界に発信しました。

 オリンピックの歴史をたどると第一回アテネ大会は男性のみの参加でした。「多様性と調和」という理念に至るにはいくつものステップが必要でした。残念ながら現実の社会はいまだにこの理念から程遠いのが実情です。橋本会長がTOKYO2020で宣言した以上、この理念を実現する覚悟が私たち日本人に求められています。

 オリンピックの精神を表す有名な言葉に「オリンピックは、勝つことではなく参加することに意義がある」(1908年クーベルタン男爵)があります。小学生のときこの言葉を先生から聞き感動しました。ところが現在のオリンピックは勝つことに最大の目標があるかのように見えます。

 昨日(7月26日)、卓球の混合ダブルスで水谷、伊藤と中国の許、劉 ペアーとの熱戦を観ました。両ペアーの一進一退の熱戦がつづくと、日本頑張れと私は思わず叫びたくなりました。潜んでいた愛国心が体を熱くしました。熱戦を制した水谷、伊藤両選手が抱き合って喜ぶ表情はまぶしいばかりでした。

 戦いに臨むアスリートの闘争心、相手を打ち負かしたときの喜びはスポーツならではの醍醐味です。この闘争心と勝者の喜びとは、動物である人間に組み込まれた遺伝子のなせる業のように思えます。いくら高邁でも「多様性と調和」という掛け声でオリンピックを盛り上げることはできません。今後のオリンピック・パラリンピックでは両者(動物的本能と高邁な理念)をいかにバランスさせるかが課題のように思いました。

 今回のトラブルを通して、私たち日本人がおろそかにしてきたことが奇しくも浮き彫りになりました。次の1.と2.です。

1.大会関係者による女性蔑視の発言、弱者への思いやりの欠如、歴史認識の軽視が国の内外から批判されて、はじめてことの重大さに気づく組織委員会の鈍感さです。当該の関係者は自からではなく、いわば外力によって退任あるいは解任に追い込まれました。

 日本の男女平等はいまだに掛け声ばかりで、現実は男性中心の社会です。弱者に対し、いじめや、パワハラ、セクハラなどの陰険な行為も後を絶ちません。第2次世界大戦時の、近隣諸国への侵略行為に対する反省も不十分です。3者とも人権に対する認識不足に帰着します。

 欧米諸国に比べ、人権に絡む国際問題に日本が消極的なのもその現れです。

2.開会式が終わりに近づくと上を向いてくださいというアナウンスに誘われ、テレビの画面を見ると光で描かれた市松模様のエンブレムや地球儀が次々と夜空に浮かび上がり、感動と驚きに包まれました(下の写真)。この光のショウが「位置を正確にコントロールされた1824機のドローンの発するLED光による」とは思いませんでした。

夜空に広がる光の市松模様 新国立競技場の天井は木製の柱で支えられています。多数の柱が支えている競技場の屋根は暗くて見えません。

 朝日デジタルによると1824機のインテル製ドローンは2240分ごろ神宮球場を一斉に飛び立ち、式場上空に移動し、プログラムにしたがって光のショウを展開しました。

 インテルと言えばコンピュータの心臓部であるCPU(中央演算装置)で、世界市場の60%を占める半導体メーカーです。ドローンの持つ可能性に注目してその方面にも力を入れているとのことです。その一端がこのショウです。

 この光のショウが極秘のうちにインテルにより進められていたことを知り、唖然とするとともに、日本の技術開発力がインテルに適わないことを目の当たりにしました。

まとめ

 1.と言い 2.と言い、どうしてここまで日本は世界の潮流から取り残されてしまったのか。それは文系理系を問わず、原理的に物事を考え、可能性があれば大胆に挑戦するという進取の気性が乏しいからではないでしょうか。クラーク先生の Boys, be ambitious. 以来の課題が残されたままであることが明確になりました。

 この2点はTOKYO2020の思わぬ収穫です。日本の未来を考える上で金メダル以上の価値があるように思います。

追記
 大橋悠依(ゆい)選手が200メートルと400メートルの個人メドレーで2冠を達成しました。大橋選手の地元が彦根市であることを知り、にわかに親近感を覚えました。郷土愛からでしょうか。私は疎開先の彦根で少年時代を過ごしました。
 大橋選手が長い手で水をかき分けて体に大きな推力与え、体の軸を左右にぶらさせないことにより水の抵抗力を極小にする泳ぎは理に適っています。
 同選手は極度の貧血に悩まされ、何度もあきらめようと思ったとのことです。コーチの励ましと指導により偉業を達成しました。アスリートのこういう話を聞くと、足腰の弱った自分も頑張らなくてはと元気付けられます。
 国を背負ってではなく、故郷(地域)とかアスリート個人とかに重点を移した祭典にすればオリンピック・パラリンピックのあるべき姿が見えてくるように思いました。

 彦根に疎開していた時のことは「日々雑感4(20/8/17)」で述べました。

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